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富士の高嶺から見渡せば

万葉集は韓国由来だと喜ぶ韓国メディア

2019.04.06 08:56

新元号「令和」の発表に際して見せた日本国民の熱狂は、歴史上初めての出来事であり、大げさではなく人類史において初めて見る壮観といってもいい。

その日の夜、NHKニュースに出演した安倍総理がいみじくも語ったことだが、新元号を国民のみんなが同時に知ることになり、新しい時代の到来を国民みんなが共有したことこそに、新元号発表の意義があった。新元号案の選考過程や選定者を秘匿し、官房長官が記者会見で発表するまで、有識者会合の出席者にも厳しい箝口令を敷いたのも、そのためだった。国民の注目のなかで、すべての国民が同時に新元号を知る、その一瞬をすべての国民が共有する、新しい時代の到来を国民すべてが共に感じる、その一体感にこそ意義があるというのだった。

確かにその日、発表の瞬間を迎えた列島各地で見られたのは、駅前の大型モニターに映し出されるニュース画面を見上げる大勢の人だかりであり、それぞれがスマホを手にしネット中継された会見映像をのぞき込み、その瞬間に一斉に歓声を上げる人々の姿だった。昭和天皇の逝去に伴う「平成」の発表の時の重々しい雰囲気はまったくなく、それとは違う明るさや笑顔、歓喜があった。何より、その瞬間をみなで共有できたという連帯感があり、元号という世界でも稀な文化と長い伝統を大切にしてきた日本の誇らしさ、日本人として生まれたことに対する誇りを周囲の大勢の人々と共にすることができた喜びは、何ものにも代えがたいものがあった。


ところで、お隣の韓国でも新元号「令和」の発表は速報で伝えられ、外交部の報道官は翌日の定例会見で、「今後も未来志向の韓日関係に発展していくことを期待している」と述べるなど、それなりの関心を示した。しかし、一般国民の受け取りは、前時代的な元号を今でも使っているというもの珍しさ、天皇の代替わりに合わせて時代の呼び名が変わることへの市民感覚としての違和感だという。なんと言っても国民主権の名のもとに選挙で公正に選ばれた大統領でさえも、「ろうそく革命」という名の大衆裁判で簡単に弾劾してしまう国である。元号のように上から勝手に押しつけられるようなものには抵抗感を示すのだろう。

そして今回、初めて万葉集という国書に依拠したという点については、さっそく安倍政権の「右傾化」だとして批判を展開している。ハンギョレ新聞は<日本政府が「史上初めて中国の古典ではなく日本の古典から引用した」と説明した新年号「令和」の本来の出典は後漢の中国人の詩だったことが確認された>とし、新元号は中国南北朝時代の詩文集『文選』の一節を参考にしたもので、元は後漢の文人、張衡(78~139)の詩「帰田賦」に原形が求められると解説。出典を万葉集だとしたのは、「日本国内でも安倍首相の国粋主義的価値観が反映された決定という分析が相次いだ」と書いている。

ハンギョレ新聞4月2日「日本の古典に基づくと言ったけど…『新元号の原典は中国古典』」)

詩歌の世界に、いわゆる「本歌取り」という文学的手法と伝統があることを分かっていないのだ。まして梅の花という大陸から渡ってきた花を愛でるのに、中国の古歌を引用し、そのいにしえを想うことに何の問題があろうか。

一方で、韓国メディアは、万葉集研究の第一人者で「令和」の選考者といわれる中西進・大阪大学名誉教授の、「万葉集」はそもそも韓国人の祖先、渡来人の影響が大きく、渡来系の歌人がつくったという説に大喜びだ。

<中西教授は、1985年に出版された著書「万葉集における古代朝鮮」の中で、「万葉集は古代朝鮮から影響を受けて作られた。百済が戦闘で大敗して百済の高官が倭(日本)に亡命した。その結果、倭が百済文化を継承して万葉集を作った」と明らかにした。>

東亜日報4月5日「日本の新元号の典拠となった古代和歌集は百済から大きな影響を受けた」

<中西教授は、韓半島(朝鮮半島)の古い詩歌と、韓半島から日本へやって来た渡来人が、万葉集に載っている日本の詩歌に影響を及ぼしたと考えている。万葉集の作者の一人に挙げられる山上憶良は百済からやって来た渡来人だ、という学説を提起したこともあった。>

朝鮮日報日本語版4月5日「令和」考案の中西教授「万葉集は半島系渡来人の影響受けた」)

要するに額田王、山上憶良、柿本人麻呂ら渡来系の歌人たちが、万葉集において大きな役割を果たしたというのだ。しかし、安倍総理も会見で語ったように、<「万葉集」は、1200年余り前に編さんされた日本最古の歌集であるとともに、天皇や皇族、貴族だけでなく、防人(さきもり)や農民まで、幅広い階層の人々が詠んだ歌が収められ、我が国の豊かな国民文化と長い伝統を象徴する国書>でもある。万葉集は名のある歌人だけの歌集ではなく、農民や防人まで無名の庶民が読んだ歌が多数含まれている。

しかも、和歌の伝統は万葉集の時代から連綿と今にまで続いている。万葉集に果たした渡来人の影響は大きかったとして、その出身の地である朝鮮半島には、1200年以上前に和歌のような詩歌が読まれた記録があるのだろうか。おそらく当時は人口の大部分を占めたであろう奴卑が詠んだ歌は残っているのか。ハングルがつくられたのは1446年だから、1200年前には漢字の使用を禁じられていた庶民には使える文字さえなかった。どうやって歌を詠めばよかったというのか。そうした歴史を冷静に振り返ったとき、普通だったら、万葉集が韓国由来だったなどとは恥ずかしくて書けないはずだが、今の韓国メディアにはそれくらいの矜持もないらしい。

新元号「令和」の令の字について、命令や秩序といった意味が最初に思い浮かび、美しい、麗しいといった意味があることは後づけで理解した人が多かったかもしれない。しかし「レイワ」という音の響きに好印象を持った人は多い。ちなみに韓国では、大統領夫人を指して「ヨンプイン」などという言葉を平気で使っているが、その漢字が「令夫人」であることなど誰も気にすることもない。漢字を棄てた民族の哀れみさえ感じてしまう。

ところで、和歌の伝統を引き継ぐのは日本の皇室の重要な役割でもある。典雅な「歌会始」という新年の宮中行事が毎年、テレビ中継されるような国が日本以外にあるだろうか。最近、NHKスペシャル「天皇、運命の物語」を見ていて、美智子皇后が皇室に入るに際し、お妃(きさき)教育として最初に受けたのが和歌の勉強だったことを知った。一日一首を詠む「百日の行」という特訓を受け、歌人の五島美代子からの厳しい添削を受けたという。(NHKスペシャル「天皇、運命の物語第4集皇后美智子さま」)。皇后が詠まれた和歌は、古来の語彙を巧みにつかわれた古式ゆかしい伝統に沿っていることがわかる。

ちなみに、この番組で1992年、山形国体開会式で天皇のお言葉の最中、天皇訪中反対を訴える男が会場に乱入し、演壇に向けて発煙筒を投げつける事件があった。このとき天皇の横にお立ちの皇后が天皇の前に手を伸ばし、守ろうとするシーンが映された。その冷静沈着さ、何の迷いもなく瞬間に手を差し出す反応の早さ、天皇のお体は自分の身で守るという皇后の心意気は明らかで、知らず涙が流れた。

天皇皇后両陛下のお姿を見るにつけ、ほんとうに仲睦まじいご夫妻であり、我々には想像もできない尋常ならざるご苦労がありながら、美しく齢を重ねたご夫婦の姿は、まさに日本国民みなの理想の姿であると思う。そのお姿を見るにつけ、日本人に生まれた幸せをかみしめている。