4月1日 えびの市→熊本県錦町(39km)
気持ちの良い晴天だが、風がやや冷たい。
まさに高原の気候である。
今日は、えびの市から国境の山を越えて熊本県に入る日。
えびの市街を眼下に見ながら、ループ橋をぐるぐると円を描きながら山を登っていき、長い加久藤トンネルを抜けると、そこは人吉盆地である。
一時間ほどで人吉市の隣、錦町にある道の駅「錦」に到着。
ここには、「錦くらんど公園」という芝生公園がある。
緩やかな傾斜の散歩道が整備されており、
「さあ、走ってください‼︎」と、言わんばかりの公園だ。
風は相変わらず冷たいが、日差しもあるので、ランニングウェアに着替えてジョギングすることに。
公園の名前は、戦国から江戸初期にかけての剣豪・丸目蔵人(まるめ くらんど)に由来するもので、
高台には彼の銅像と、
「少年剣士」と題する銅像もある。
新陰流を学び、のちに自らの流派・「タイ捨流」を生み出した蔵人は、「東の柳生、西の丸目」と呼ばれ、あの柳生新陰流と並び称される剣豪だった。
ここ人吉を鎌倉時代から明治維新まで約700年、ずっと治めてきた相良氏に仕えた人である。
タイ捨流の「タイ」をカタカナ表記にするのは、何かの間違いというわけではない。
「体・待・対」、つまり「体を捨て、待つを捨て、対峙を捨てる」という全ての意味を持たせるため、一つの漢字に囚われないよう、カタカナ表記となっている。
「タイ」にはもう一つ、「太」の意味もあり、こちらは「捨てる」ではなく、「自性」(自らの本質)に至る、という意味である。
タイ捨流とは、剣法に体術(蹴り、目潰し、関節技)を加え、相手を撹乱し、様々な地形にも対応できる実践剣法であり、創始者の蔵人により九州全土に広まった。
彼は宮本武蔵にも剣術を伝授した、という逸話もある。
現在でも古武道の一種として、全国各地に愛好家がいるとのこと。
この町では毎年5月に「剣豪・丸目蔵人顕彰少年剣道選手権大会」が開催され、今年で50回目。
九州各地から、500名ほどの少年剣士が参加するらしい。
公園には古墳のような小高い丘がいくつもあり、大小様々な遊具もあるので、ところどころで親子連れの姿も見かけられる。
中央の丘を巡る散歩コースを1時間ほど、何十周か走り、うっすらと汗をかく。
公園の桜はちょうど満開で、風が吹くたび花びらがはらはらと舞い落ちていた。(Y)