4月2日 錦町→人吉市[国宝 青井阿蘇神社・人吉城跡・人吉城歴史館]→水俣市②(66km)
青井阿蘇神社を後にした一行は、人吉城跡地内にある「人吉城歴史館」を見学。
ここ人吉市は、鎌倉時代に相良氏がこの地の地頭職に任命されてから明治維新までの約700年もの間、相良氏一族により統治されてきた。
このような長きに渡る一氏族の統治は、日本の歴史において島津氏や相馬氏を除いて他に例がない。
よって、この歴史館は、相良氏代々の事績を紹介する施設となっている。
この歴史館の展示の目玉は、市の有形文化財である「繊月石」であろう。
これは、相良氏の初代・長頼が人吉城を築城する際に出土した、不思議な三日月文様のある石であり、人吉城の別名・繊月城はこの石に由来する。
相良氏は、この石を「一族が球磨地方を統治する正当性を示す霊石」と考え、城内の神社に大切に保管してきた。
その後幕末の大火事により破損したが、幸いにも三日月文様自体は破損せず残っているという。
また、「相良清兵衛屋敷の地下室」という、珍しい展示もあった。
歴史館の床から地下を覗き込む形で、石造りの地下室を見ることができるのだが、その中央には井戸が備えられており、このような遺構は全国でも例を見ないらしい。
相良清兵衛は、人吉藩成立前後に活躍した相良氏の重臣であり、関ヶ原などの功績により重んじられたが、その後権勢を振るい、交替した藩主によりその振る舞いを幕府に告げ口され、津軽に追放されてしまう。
この措置に憤った養子の犬童半兵衛一族は屋敷に立てこもり、藩主に対して反乱を起こして一族皆殺しとなった。
この物騒な事件は、「お下の乱」として知られている。
主だった展示品以外は、パネルやジオラマの形式での、当主・相良氏代々の事績紹介。
時代で区分された年表や系図に加え、事績紹介ビデオが何ヶ所かに設置されていたので、時代を追って、一つ一つ丁寧に見ていった。
鎌倉時代の初代・長頼が人吉を収めるようになってから、その息子たちが領地を分割相続。
多良木荘を与えられた上相良氏と、人吉荘を与えられた下相良氏の間で、たびたび武力抗争が繰り広げられていたという。
戦国期には、相良氏は一時は島津の軍門に下ったが、その後九州征伐に乗り出した豊臣秀吉に服従。
関ヶ原の戦いでは、当初西軍についたが、東軍の優勢を目にして東軍に寝返り、その結果、徳川幕府からは人吉藩として領土を安堵され、事なきを得た。
そして、明治維新期、最期の藩主(15代)となったのが、35代・頼基。
その後、相良氏は華族となり、有数の資産家も輩出したという。
一つの氏族によって統治された悠久の歴史。
戦国武将に特別関心があるわけではないが、長い間にはいろいろな事が起こるものだ。
人間社会に起こりうる様々な出来事の縮図を、ここに垣間見た気がした。
歴史館をあとにし、人吉城に登ってみることに。
遠方に見える、こんもりとした丘が人吉城である。
人吉城は相良氏の初代・長頼が13世紀に最初に居を定めたが、本格的な築城は1470年頃であり、シラス台地の地形を生かした天然の城壁であった。
1639年になって今の石垣が完成し、近代城郭としての人吉城が完成。
幕府に遠慮して天守閣は置かれず、2層の屋敷が建てられていた。
現在、日本100名城の一つに選ばれ、人吉市の重要な観光スポットになっている。
ここの城壁の特徴は、ソリ立った崖のような「武者返し」があること。
これはもともとの櫓が幕末の大火事で焼失し、その後設けられたものである。
だから実戦で効果を発揮したというわけではない。
観光客の女性が、上から下を覗き込むようにして、「怖〜‼︎」と言っている声が聞こえてきた。
三の丸から二の丸、本丸と登っていくが、建物は残っておらず、広々とした芝生と杉木立があるだけである。
ちょうど桜が満開であり、城跡のところどころに花見を楽しむ人たちがビニールシートを敷いて陣取っている。
眼下には人吉市街が見渡せ、時間があれば、日差しを浴びながら昼寝でもしたいところだ。
人吉城を一周したところで車に戻り、JR人吉駅前に移動する。
駅前広場には「からくり時計」があるとのこと。
午後3時まであと5分ほどというところで、拍子木を持った男性が、どこからともなく現れ、前口上を始めた。
前掛けの模様から、どうやら、この方は近所の老舗酒屋の御主人らしい。
毎時間、こうして口上をして、からくり時計の機械を操作し、観光客を楽しませてくれているのだろう。
「笑点」に時々出演している浅草のウクレレ漫談師「ぴろき」を彷彿とさせるトボけた口調のゆる〜い雰囲気とトークで、ベンチの我々の隣に座っている女子高生が大ウケしていた。
相良の殿様が人吉城から城下の様子を眺めるというストーリーに沿って、櫓に見立てた時計台の扉が四方から開き、からくり人形が動き出す。
面白い趣向だが、肝心のからくり人形が現代の子供向けアニメキャラクター風。
せっかくやるならもっと伝統工芸的な人形にすれば、外国人観光客受けもすると思うが……。
口上師の男性が、いい味を出しているのに、なんだか勿体ない感じがした。
さて、人吉観光は これくらいにして、一行は水俣市に向けて出発。
球磨川沿いに国道を走ると、日本三大急流の一つ、球磨川の澄んだ流れが目を楽しませてくれる。
しばらくして、道の駅「みなまた」に到着。
この道の駅は、「エコパーク水俣」という広大な公園施設の中にあり、駐車場がいくつもある。
ここは以前、水俣病が発症した原因となった海が広がっていたところ。
現在、海の一部分が埋め立てられており、道の駅や公園の他、各種スポーツ施設やフラワーガーデン、レストラン、海沿いには水俣病関連の資料館なども置かれている。
気兼ねなく車中泊ができそうな場所である。