好きなピアニスト
中学1年の時に実演を聴いて以来、ずっとアレクセイ・スルタノフAlexei Sultanov推し。
小学生までは家にいっぱいあったからという理由でアントルモンばかり聴いていたのに
それ以降、ピアノならスルタノフのCDばかり聴いていた。
(音源だけで彼の演奏かどうか当てる自信ある)
そしてあまりのウマさに弾く気を失い自分の練習がはかどらない、というのを繰り返す…
他の誰を聴いてもやっぱりスルタノフに戻ってくる。もうこのまま一生中毒でいい。
技術はもちろん、オーケストラを凌駕するほどの鳴らし方といい、音の発音、独特の歌い回し、音色、全てがツボ。指がよくまわる人はたくさんいても、ピアノをこんなに鳴らしきることが出来る人はほとんどいない。
打鍵が強烈なのに決して汚くならずむしろ綺麗、うなるように響かせたり、まるで木管のような音色にしたりと、技巧面だけでなくこういう細部に人格の片鱗が出るのが音楽なのでは、とよく考えさせられた。
YouTubeに残されているショパンコンクールのドキュメンタリーでは、優しい見た目にそぐわずタバコをふかしながら結果発表を待つ姿やコンクールというものに対して思うことを率直にピアニストらしからぬ雰囲気で話し、それでいて下品さは全くなく少年のように無邪気。他に東洋武術で黒帯所持者だったとか、なぜか尾崎豊を弾いたりなど謎が多すぎて個人的には全てが魅力的だけれど、クセが強いととられて好き嫌いが分かれそうなピアニストではある。
また聴きたいのになかなかコンサートが無いなと思っていた時、脳卒中で2005年に35歳で亡くなったという記事を目にして、ショックでしばらく放心状態になった。
スルタノフと言えばホロヴィッツなのだが、夭逝されたためかすぐに名前が挙がるピアニストではない。話が通じる人が周りにいなくて寂しいと思っていたところ、スルタノフ支援会を発見、共感出来る人たちが居るとわかり嬉しい。やはり天才は死してもなお輝く。消えて無くなりはしない。
支援会はスルタノフのご家族ともコンタクトをとられていて、より正確な情報を出して下さっている。憶測で勝手なことを言うのは大変失礼なので他の翻訳記事も全て拝読。特に闘病生活についての記事は本当に胸が痛む。この数日彼自身が語るコンクール後のドキュメンタリーも見て、少しでも聞き取ろうとかなり入り込んだせいか、私自身もかなりつらくなり体調を崩してしまった。
いや、彼はみんなに希望を与えるために半身不随でも片手でなんとか演奏して周ったのだから
こちらが沈んでしまっては本末転倒。不屈の精神と希望を受け取る。
スルタノフがどんな演奏家なのか、まだ知らない人にもすぐ伝わるような動画を選んでみる。
これでも相当迷って取捨選択。
観客総立ち 熱狂ぶりがすごい ラフマニノフ 協奏曲2番 3楽章
ヴァン・クライバーン コンクール優勝時 19,20歳辺り 1989年
(指揮がスクロバ)
ショパン エチュードop25-6
ショパンコンクール第1次 1995年
3度。上行する時汚い弾き切り方をする人が多いのに繊細でとても綺麗
またしても観客の熱狂ぶりがすごい ショパン 協奏曲第2番 3楽章
ショパンコンクール ファイナル 1995年
私も1番よりは2番派。振る方も2番の方が難しいと思う。
コンクールなのにリサイタルのように自由に弾いていて格好いい。
そのせいか結果は1位なしの2位。熱狂していた観客からも大ブーイング。
そして授賞式をボイコット。
そもそもショパン本人でもなく何の関係も無い人間が集まって勝手にショパンコンクールと題して点数付けていること自体がおかしな話。それを言い出すと終わりのない話になってくるけど、とにかくこの結果は腹立たしい。
なぜかみんな大好きな プロコフィエフ 戦争ソナタ (この曲なんでそんなに人気あるのか不思議...)
チャイコフスキーコンクール 1998年
これで2次予選落ち、審査基準不明。またしても観客大ブーイング、それにより予選落ちなのに特別賞受賞するという異例の事態。なぜロングヘアーにしてるのか昔からずっと気になっているが言及する方がいない。
支援会ページ記事によると、この時期すでに体調にかげりが出始めていた時では?
別の動画で妙に荒くてヘタに弾く熱情ソナタがある(16歳?)。
その時はなんと小指を骨折しての出場だったらしい。
個人的に好きな曲 スクリャービン エチュードop8-12
1997年大阪でのリサイタルでのアンコール 音源だけ
右手たまに違う音入ってるなどもうそんな事はどうでもいいほどの演奏。
それを物語る最後の絶叫ブラボー。
もっと計算高くしたたかに世渡り上手で健康管理もよくしてくれていたら、今もその演奏を直に聴けたのではと心底残念に思う。
けれど、Van Cliburn優勝後に徐々に仕事が減っても、もう一度望みをかけたコンクールで理不尽な結果にされても、病に倒れて半身不随になっても、何者にも流されず迎合せず、信念を貫いたその自信が魅力だし、むしろ貫いてくれたからこそ今残されている動画や音源を通して新たに感銘を受ける人々が増え続けているのは確か。
頭の固い意味不明な否定や制限、支配などがまだまだはびこる世の中から、
良いものは良いと認められる自由な世界がさらに進むように、そんな和を広げていきたい。