『原始文化』の新訳
このたび、国書刊行会の「宗教学名著選」シリーズの一冊として、文化人類学の祖E・B・タイラー(Edward Burnett Tylor、1832~1917)の『原始文化』の日本語訳が出版された。ただしこれは、全二巻から成る原著(初版1871年)の第一巻の翻訳(したがって「上」)で、第二巻のそれ(おそらくこちらが「下」となるはず)についてはまだ詳らかでない。この訳書については、かなり以前から刊行の予告がなされていて、世に出るのを楽しみにしていたので、今回のことは非常に嬉しい(原著の分量は尋常ではないので、訳者の方々は長年非常に苦労されただろうと思われる)。
『原始文化』は、今から50年ほど前、日本語に移された(比屋根安定(訳)『原始文化―神話・哲学・宗教・言語・芸能・風習に関する研究』誠信書房、1962年)が、この出版物は、原著の内容をかなり自由に組み換え、編集しなおした抄訳であって、ふつうの意味での「翻訳」ではなかった。このことが、今回の新訳(こちらは原著に忠実な、正真正銘の「翻訳」である)の価値をいっそう高くしているといえるだろう。
僕は数年前から大学で神話学説史を講じていて、タイラーの『原始文化』も取り上げてきた(ただし上記の比屋根訳を使ってきた)。松村一男氏の区分でいえば、タイラーは「十九世紀型パラダイム」の代表的人物で、ダーウィン進化論の影響のもと、神話伝承の担い手を近代西欧人よりも「劣った」存在として扱っている(ちなみに『原始文化』の原題はPrimitive Cultureで、すでにここに進化論的が意識がみてとれる)。文化人類学は文化相対主義を保持すべし、という現代の共通了解を考慮にいれれば、タイラーのこの姿勢はとうぜん批判されるべきであるが、学説史の文脈に置くと、彼の議論はたいそう興味深いものとなる。これは、19世紀、ダーウィンの考えが生物学以外の領野にも広がっていることをはっきり示すものだろう。
また近く授業でタイラーを扱う予定だが、今回の新訳は(比屋根訳と合わせて)もちろん利用するつもりだ。上巻のみではあるものの、目次をみると、神話論にあたる部分は運よく入っているので、ここはぜひ紹介しようと思っている。下巻の刊行も待ち遠しいところだ。
【参考文献】
松村一男『神話学入門』講談社学術文庫、2019年。