色のない夢
「"令和"、かあ。悪くないな。凛として、涼しげで、いいな。」
元号の発表を聞いた瞬間、そう感じた。
これで、昭和から平成、令和と、3つの元号を生きることになるのだろう。
もし、長生きでもすれば、小さい頃に時折見かけた明治生まれのおじいさんみたいに、若い人たちから見られるのだろう。
ふと昭和を振り返る。
幼い頃は、とても神経質な子どもだった。
身の回りの色んなことが気になって気になってしょうがなかった。
同級生と一緒になって遊んでも、心の底から笑えない自分が嫌だった。1人遊びをしている時間が落ち着いていられた。
家の前で細々と流れている小川で石を積んでダムを作り、水が満たされたのを見計らって、ダムを崩し、小さな洪水が足元を洗ってゆくのを一人眺めるのが好きだった。
こんなことしていたのは、私以外にはそうそういないだろうと思っていたら、とある友人も、やっぱり小さい頃は一人で小川の岸辺に丸く石を並べて池を作り、外界から遮断された自分だけの聖域の中で葉っぱやドングリなんかを浮かべて遊んでいたそうだ。
思わぬ偶然に、心が暖かくなった。
まるで、多くの人々が行き交う高速のパーキングエリアで、一瞬目が合っただけなのに、ずっと忘れられない人に出会ったような気持ちになった。
こんなタイプの人間は、きっと大人になってもその頃の情景が焼き付いていて、心から離れないものだ。
こんな他の誰にも邪魔されない、美しい何かは、きっと生涯なくなることはない。
昭和が終わった瞬間のことも鮮明に覚えている。
高校3年の正月休み、共通一次試験(今のセンター試験)の直前だった。
昭和天皇が崩御なされたというニュースは学校の補習中、休み時間に聞いた。だけど、入試直前の張り詰めた時期で、元号が変わる、と言われても正直それどころではなかった。
ただ、ザワザワと落ち着かない時代の空気だけをボンヤリと感じていた。
平成元年に18歳になり、一人暮らしを始めた私にとって、平成という時代はそのまま大人に成長するための修行時代だった。
始めの頃こそ、いわゆるバブル景気まっただ中で、卒業し、就職しさえすればすぐに財布の中には一万円札がギッチリ詰まって、肩パットが真横に入ったダブルの高級スーツを着こなし、流行りの音楽をカーステレオで掛けながら車をドライブさせる、はずだった。
実際、そんな風になって後輩の私たちに差入れを持ってくる先輩たちが沢山いた。
ところが、人生そう簡単には行かないものだ。
何故か私が卒業する直前に泡は突如弾け、それが何だかとても悪いニュースとして連日報道された。
あれよあれよという間に景気は悪くなっていき、元々働くということにあまり頓着がなかった私もその波に見事に飲み込まれていった。何となく人並みに働いて、苦労もあった30年という月日は、振り返るとあっという間に過ぎていった。
社会人になってから今まで、まるで源流の清らかでうららかな流れに浸されるような喜びや、時にはドブ川に首根っこをつかまれて顔を突っ込まれるような苦しみも味わってきたが、それらも今となっては全て大切な経験だったと思える。
今上陛下と皇后陛下には一度だけお会いしたことがある。
10年くらい前だったか、新潟駅の新幹線ホームで赤じゅうたんの上を仲良く、いつもテレビで拝見するあの笑顔で手を振りながら歩かれていた。
思いがけない出来事だったが、何とも言えないオーラに心がジンと温かくなったのを今でも覚えている。
30年以上に渡り、国民のために激務といっていいご公務を全うされてきたことに、心から感謝を申し上げたい。
このサイトで政治や宗教のことを書くつもりはなかったが、やはりこの国に生まれ、育った一人として、天皇制はとても大切なものだと思っている。
もちろん人によって、その捉え方、感じ方は様々だと思うが、何より大切なことは、我々の先祖代々、天皇家を大切にし、なくすことをしてこなかったという事実。
歴史上どんな国でも、民衆が蜂起すれば、栄華を誇った王朝が倒れ、巨大だった政治体制は転換してきた。そんな中、日本の天皇家だけは少なくとも1700年以上、脈々と続いてきたのだ。
この年数は世界的に見ても飛び抜けて長い歴史であり、日本は世界最古の国家として認められている。
今に生きる私たちが、先祖の方々がどんな想いで皇室と向き合い続けてきたのかということをたまに立ち止まって考え、感じてみることも悪くない。
ま、でも、九州の片田舎に住む一人の平凡な平民に過ぎない私は、これからも変わらず平日はせっせと働いて、時折週末のフィールドを妄想しながら、生きていくんだろうな。
相変わらず、源流にヤマメ釣りに出かけたり、先生と一緒にイワナの調査に行ったりする日々の中で、過ぎゆく平成と、やがて訪れる令和の時代を、こんな風にボンヤリと考えていた。
もしかすると幼い頃、一人遊びしていた時のような風景を求めているのだろうか。
トラウトフィッシングに没頭している自分を客観的に見てみると、言葉に出来ない感興がふわっと浮かんでくる。またそれは年を取れば取るほど、高まってくるような気がしている。
そして時代が令和に変わっても、もう少しこのまま運命的な出会いを、まるで掴むとすぐに消えてしまう、色のない夢のような時間を求めて生きていきたい。