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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

百年戦争24-英国への反乱ルーアン占領

2019.04.12 03:18

ジャンヌの刑死でもう安全と思った英軍は攻勢をかける。同時にコーション、英軍、パリ大学はジャンヌ魔女論を展開する。ジャンヌが魔女となるのはこのときの名残なのである。そして1431年12月、パリノートルダムでヘンリー6世のフランス王戴冠式のイベントが挙行された。ところがランスの聖油がなかった。おまけにパーティの肉が不味く、贅沢なパリっ子を失望させたらしい。

そしてヘンリー6世もすぐイギリスへ帰ってしまった。例えばアンジュー帝国のヘンリー2世はずっとフランスに居た。廷臣もフランス人、言語もフランス語、そんな時代とは隔世である、英仏はお互いに固有の言語や文化ができていたのだ。

しかし何と、ジャンヌが処刑された当のノルマンディーで、山賊だかレジスタンスだかが始まるのである。1432年野武士の一党が、あの安全だったはずのルーアンを一時占拠した。数日で奪回されたが、皆八つ墓のタタリならぬ聖女を殺した神の罰を感じたはずだ、コワイぞー。さらにレジスタンスは各地に広がり、その力でシャルトルが奪還された。

その年、英摂政ベッドフォード公は、ブルゴーニュとの要であった妻アンヌを亡くした。さらに仏王の寵愛を一身に受けていたラ・トレモイユが、義母ヨランドの手引きでシノン城で襲われ、その後王室から追放、ライバルのリッシュモンが復帰、侍従長にジャンヌの戦友元オルレアン守備隊長デュノア伯が就任、なんと死後ジャンヌクーデターが起きたのだ。

下はルーアンのジャンヌ・ダルク教会の昇天するジャンヌ