じゃあ、「令和」はだれのもの?
大人の自習時間 スペシャル
堀間ロクなな
特別な傑作だと言うつもりはない。たまたま新元号「令和」が発表されて世間が賑やかだった時期に読んだものだから、いっそう強く印象づけられたのだろう。最初のページにこんな一節がある。
「彼女の日本語はとても上手かった。発音はおれよりはるかに良いだろう――もっとも彼女は敬語を使っていなかった。このミッドポイント・シティの日本側でアメリカ人を見かけることはいまだにあまりないが、昭和も三十六年になると(彼女はアメリカ人なので、一九六一年と考えるだろうが)、世相は変わりつつある」
この文庫本で30ページほどの小説「太平洋横断海底トンネル小史」(2013年)を書いたのが、中華人民共和国甘粛省で1976年に生まれ、現在はアメリカのマサチューセッツ州に在住する作家、ケン・リュウ(劉宇昆)だと知って、どう思われるだろうか? わたしはかなり驚いたのだ、ごく当たり前のように昭和の元号が使われていることに。
ストーリーはざっとこんな具合だ。昭和初めの世界大恐慌の勃発にあたり、裕仁天皇はその解決策として太平洋横断海底トンネル構想を打ち出して、アメリカのフーヴァー大統領の支持を得る。これは、環太平洋火山帯に沿ってアジアと北アメリカをつなぐ全長9500キロの海底トンネルを建設し、上海、東京、シアトルに地上ターミナルを設けて、圧縮空気で移動するカプセルが交通手段というもの。その掘削工事のために台湾から徴用された「おれ」の目をとおして、昭和30年代までのクロニクルが語られていく。
この人類史上最大の土木事業の成功で世界経済は息を吹き返し、日中戦争のみならず、第二次世界大戦も回避されて、平和裏のうちに日本は欧米と肩を並べる大国となりおおせた。しかし、「おれ」の回想は、やがてその背後に秘められたどす黒い闇へと……。SFのスタイルを借りた思考実験と言ったらいいだろうか。が、これ以上の内容には踏み込むまい。肝心なのは、この仮想によるもうひとつの歴史の叙述において、昭和の元号が時間を支配していることなのだ。
わたしたちは、いや、複数形にして誤魔化すのはやめよう。少なくともわたしはこれまで、元号は日本という空間で固有の時間の流れに棹を差すためのもの、つまりは日本人のためだけのものと受け止めていたようだ。そうした固定観念に対して、この小説は痛棒を食らわしたのである。改めて考えてみれば当然ながら、元号は日本人ばかりでなく、国内に住む外国人はもちろん、全世界に対しても広く開かれているはずだ。
「令和」のはじまりが、日本が本格的に外国人材の導入に踏み切った時期と重なったのは象徴的だ。おそらくはこの元号の時代を通じて、日本に居住して学んだり働いたり、家庭を営んだりする外国人は目覚しい勢いで増加していくだろう。一方で、この時代に高い確率で予測されているのは、平成の阪神・淡路大震災や東日本大震災をさらに上回る規模の天災が襲来するだろうことだ。そのときに、日本人と外国人はともに苛烈な現実と対峙し、解消しようのない怒りと悲しみを分かちあい、手を取りあって逞しく国土の復興に立ち向かっていくのではないか。
こうしたプロセスのもとで、いまの日本人と外国人の区別はやがて刷新され、おたがいが融合しながら新たな日本人を生み出していくに違いない。もとより道のりには起伏があるだろう。起伏はあるにしても、そんな未来への日本社会の着実な変容を、「令和」は見守っていくことになる、とわたしは考えている。
※「太平洋横断海底トンネル小史」は、ケン・リュウの短編集『紙の動物園』(古沢嘉通訳/ハヤカワ文庫)に収録されています。