Ameba Ownd

アプリで簡単、無料ホームページ作成

祭多まつりのWEB SITE

卒業

2019.04.12 09:29

今の街に住んで、9年になる。

前に書いたが、来月私は、家主の都合で引っ越さねばならない。

どこにいくかはまだ決めていないが、どこか私の知らない街、冬は暖かく、夏には涼しい風が吹く、そんな街に引っ越したいと思う。


この街にきてから9年間、通った店がある。

深夜酒類提供飲食店。

いわゆるガールズバーである。

そのお店にまつわる純文学を書きたいと思いつつ、9年もの間、何度となく筆を折ってきた。

知り合いを小説に登場させるのは難しい。それが主人公であるなら尚更だ。

物語を書くのに許可はいらないが、名誉毀損で訴えられる場合もある。

だが、遠慮や配慮などをした純文学などは読む価値もない。

そういうわけで、見知ったことに多少の手を加え、物語を創作しようと考えている。

だが、ホスラブに投稿されているような風俗界隈にある夜の物語の裏話を書きたいわけではない。


創作における私の師は、口うるさいほどに、創作の対象に愛を持ちなさい、と常日頃言っていた。

愛とは簡単で、難しいものである。

少なくともこの投稿の間に挟んで示せるものではない。


創作の対象を好きになることは、よくある。

書いている間はもちろん、何をしていても、物語の続きやこれから描写したい場面、その人がどんな言葉を吐き、どう行動をするか、そしてどんなことを考えているかと、ずっと考えているわけだから、当然である。

だが、心を奪われていると小説は書けなくなる。

好きになりすぎて登場人物の自由を奪ってしまうと、物語はとたんに色あせてしまう。

作者の想像を越えて配役が自由に行動し、自由に言葉を使いはじめると、物語は加速していく。

ファンタジーを書いていると、そういうことがたまにある。

物語の映像や雰囲気、登場人物の感情が次々に心に宿る。

文章にするスピードがおいつかず、何も考えず殴り書くように言葉をつないでいく。

気がつくと物語ができている。

純文学ではそういうことが、滅多におこらない。

ペン先を心臓に刺し、滴る血を一滴一滴言葉に変換していくような苦しい作業である。


だから、愛を持ちつつ心や体は枯らしてしまったほうが純文学は書きやすい。

だが、心も体も思うようにはなかなか枯れてくれない。


田山花袋は、弟子の女学生を自分の元から去らせることで『蒲団』を創作した。


大宰は、人生から去ることで『人間失格』を書き、自死した。


頭のおかしい※島崎藤村は、姪との肉体関係を解消するために「新生」を書いた。


※私にとって最上級の褒め言葉です


私も覚悟を決めて、対象を愛しきらなければならない。


書くべき物語はたくさんある。

当時の店長の子を妊娠し辞めていった者の物語。

シングルマザーで昼も夜も頑張って働いていた者の物語。

自身の歯が折れ黒く崩れていても治す余裕もなく働いていた者の物語。

客と付き合い辞めていった者も複数いる。

お笑いタレントと付き合っていた者。

AVに出演した者。

店長と結婚したまお。

スタッフと逃げたかすみ。

同棲する男が働かず、キャバクラに移ったぎんさん。風の噂で今は幸せになったと聞いている。

遠くの街から通勤していたさやか。旦那さまと別居したのかお金に困っていたので数万円を指定された口座に振り込んだが今は連絡がとれない。そんなさやかの物語。

大学に行かなくなってしまったかず。

ドイツの大学に留学したじゅん。

酒乱のリコ。

インディーズからプロのバンドデビューを果たしたまゆ。

ウィスキーを注ぐとき、通常はワンフィンガーかツーフィンガー分をグラスにいれる。

だが、まゆはグラスになみなみ注ぐ。その豪快さに感動し、サルトルの影響もあり実存の象徴として、そのまゆが注いでくれたウィスキーの写真を私のアイコンとして使っている。

地下アイドルをしながらガールズバーで働いていたなづなはまだ頑張っているだろうか。病気は大丈夫だろうか。

ストーカー被害にあっていたしずな。

今でもダンスを頑張っているルカ。

父親が病気でずっと寝込んでいる者。

会計にドリンク2、3杯分のわずかな金額を上乗せする者。

父親が心配になり、店に客として来ていた子もいた。これも物語に書きたい。

Mを歌わせたら天下一のまりあ。

カリンダカリンダのかりん。

看護師さんになったばかりのなお。

近々お店を卒業していくりんちゃん。

本名を知っている者も、いない者もいる。

ほとんどの者は店を離れ疎遠になっていくが、結婚し、子をもうけ、元気に暮らしていることを教えてくれる人もいる。

付き合いを自ら遮断する者は大抵幸せからは遠い生活を送り、何かを頑張っていたり、幸せに暮らす者は今でもその様子を遠くから知ることができる。

男性スタッフの何人かは昼間の生活に移り、何人かは闇の中に消えていった。

稀にその姿を見せていたオーナーも今では見ることはほとんどなくなり、9年の間に2回ほど店の名前が変わり、客もまた変わっていった。


あい、あおい、あずさ、あやか、ありさ、あんり、いずみ、いろは、かいり、かすみ、かず、かな、かりん、かんな、きよみ、ぎん、ここ、さき、さとみ、さら、さやか、しおん、しずな、じゅり、じゅん、つばき、つばさ、ちあき、ちの、なお、なつき、なづな、なな、ななお、ねこ、のぞみ、はな、ひかり、まい、まお、まゆ、まりあ、ももか、ゆあ、ゆう、ゆうき、ゆず、ゆきの、ゆりか、りこ、りな、りん、るか。


カウンター越しから勝手に、ときにはことわりをいれて彼女たちの魂を覗きこみ、何かが見えた人もいれば、何も見えなかった人もいる。

会話からそれぞれの生活と人生が分かる場合もある。

一つの店の9年を描き、かかわった50人ほどの人生を文学にしたとき、何が書けているだろうか。

これは私の、卒業の物語でもある。