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みねらるのひとりごと

人文学のまなび

2019.04.12 16:59

自分が不甲斐なくて。ここに筆を取ろうと思ったのです。




「性同一性障害」 という単語は当然知っていたし、中高の授業でも習った記憶がありました。


でも実際、

「自分、性同一性障害なんだよね」

と言われたのは初めてで、自分の理性とは裏腹に、内心少し戸惑ってしまいました。


それでも自分が不寛容な人間だと思われたくなくて、

「へぇーそうなんだ」

と、何も無かったかのように返し、慌てて自然に振る舞いました。



私は文化構想学部という人文系の学部で主に社会学と中国語を勉強しています。もちろんそのほかの自由選択科目として、ジェンダー系の講義や演習もあります。でも、今までその存在を知っていながら、履修しようとは思いませんでした。中学高校の授業と、ネットに転がっていた記事をベースとした申し訳程度の知識で生きていました。

生きていけてました。



自分が興味のあることを学べばいい



もちろんその通りだし、それぞれがそれぞれの分野のプロフェッショナルになることは素晴らしいと思います。


でも、私はそれじゃあ納得出来ない人間で。


例えば

母親が

「明日から生活保護のお世話になることになった」

と言い出してから福祉について学ぶのか


友達が

「自分、性同一性障害なんだよね」

とカミングアウトしてからジェンダーを学ぶのか


後輩が

「ムスリムに改宗するか迷っているんです」

と相談してきてから宗教を学ぶのか


その次にかける言葉が出てくるか出てこないかは自分の蓄え次第。



そんな事滅多に起きないと思っていても、実際は起きていて、悩んでいる人がいる。苦しんでいる人がいる。



結局人間なんて自分の周りで物事が起きて、自分が当事者、もしくは当事者の関係者になってからようやく気づいて考え出すような勝手な生き物なのです。


そうやってみんながみんな生きているから、ある時議論が起きて、社会問題になって、当事者はさらに追い詰められていく。



そう考えると人文の学びはどれも欠かせないし、人間性を養うものと言えるのではないでしょうか。


私はなんのスキルもない人間ですが、せめて寛容に、恥ずかしい言動をしないように生きていきたいと思います。



それは経済を潤すことはないにしても、歷とした社会貢献であり、それらの分野の専門家が蔑ろにされていいはずがないという主張の暗示でもあります。