コンクールもコンサートも全部「音楽」です
中学生の時の話です。吹奏楽コンクールは出番が次になると舞台袖で待機するので、嫌でも前の団体の演奏を聴くことになります。
よく言う話ですが、めちゃくちゃ上手に聴こえるんですよね。あれ、何なんですかね。
コンクールやオーディション、実技試験というものは音大生だったこともあり、何度も何度も受けました。その都度やはり「誰が上手だ」とか「勝ち負け」のような話題になるし、自分自身もそういったモードになってしまうので、どうしても好きになれませんでした。
でもやっと最近になって思うのです。「音楽」には変わりないと。
多分これは審査をする側になったから見えてきたことだと思うのですが、他の人はどうかわかりませんが、僕は結局コンサートを鑑賞するのと、コンクールで審査するのは同じ目線です。
では音楽とは何か。それは聴く人の心に何かを届ける行為です。
演奏者は「作品」というものを借りて、その作品の素晴らしさや中に込められたものを伝えることと、演奏者自身がその作品に対して何を思うか、それを全部ひっくるめたものを客席へと届ける役割を持っています。
その届ける行為が「表現」と言われるものです。そして表現するためには「技術」が必要です。
しかしコンクールでは多くの場合「ミスしたら原点される」とか「テンポやピッチが安定している」だの、「技術」を前面に出してしまう場合がとても多くて、表現することを後回しか、忘れている場合が多いのです。
仮に完璧なまでに演奏技術の高い達者な演奏だったとしても、その中に込められた音楽の最も核になるものが存在しなければ、それは決して素晴らしいものとは言えません。
音楽は音楽です。コンクールだろうがコンサートだろうが、音楽であることに変わりはないのです。
トロンボーン奏者の福見氏のツイートを拝見し、こんなことを思ったのでした。
荻原明(おぎわらあきら)