実践例3 R君2歳男の子の場合
医師から「自閉症」の診断がなされたものの、具体的なアドバイスはなく、「今できることがあるならば早くしてあげたい!」とのお母さまの強い希望から、当方に相談と訓練を申し込まれたケースをご紹介します。
※事例は個人が特定されないよう、改変を加えてあります。
〔ケース概要〕
2歳で「自閉スペクトラム症」と診断され、「なんとかことばを育てたい」「出来ることがあれば早くやってあげたい!」との主訴で、無発語の状態からトレーニングを開始し、”ちょうだい”、”どうぞ”の基本的なやり取りの練習から初めて、動作模倣、音声模倣を通じて有意味語が話せるようになった2歳の男の子のケースです。
〔R君の紹介〕
2歳の男の子。坊主頭が可愛い目のクリっとしたお子さんでした。「おはよう」と挨拶をすると目を合わせることなくセラピストの持っていたカバンのキーホルダーに突進し、興味深げに見ていました。セラピストと遊ぶ間やそのほかの時間も、座ったかと思えばまたどこかに行き、遊びを転々とするお子さんでしたが、トミカを並べて遊ぶ間だけは静かに集中をしていました。
保健センターで取った新版K式発達検査の結果は、運動面は問題なし、その他は見てわかる力が6か月~1年の遅れ、言葉や社会性の力が1年程度の遅れ、ということでした。
〔初回相談の様子〕
R君は胎生期や新生児期など、特に大きな問題もなく、あまり泣かず、育てやすい子だったそうです。ただし1歳を過ぎる頃から夜泣きがひどくなり、遊びかけてもあまり目が合わず、大好きな車のおもちゃで一人で遊ぶことが多く、”なんか変わっているな”と思いながらも、その時は”手がかからなくて楽だ”くらいに思っていとのことでした。しかし、1歳半健診で言葉の遅れを指摘され、心配になったお母さまが医療機関を受診したところ、2歳で「自閉スペクトラム症」の診断が降りました。お母さまはショックだったものの、「出来ることは早くやってあげたい、特に言葉を伸ばしたい」との希望で、相談とトレーニングが始まりました。
R君の遊びの様子を見るために、セラピストが机に座り、向かいにR君に座ってもらいました。しかし、R君はセラピストが持ってきたおもちゃや訓練道具が気になって仕方がなく、机の下を潜りながらおもちゃに突進してきました。止めても止まらないその様子は、まさに突進、と呼ぶにふさわしかったと思います。
ビー玉を取り出して見せると、R君が興味を示してくれました。そこで、ビー玉を見せつつ、椅子を指さして「座る」と言うと、何度目かでその意味を理解し、R君は自分の椅子に座りました。
ビー玉を1個渡し、缶の中に落とすように指示すると、R君は手のひら全体でギュっギュと押し込み、すぐに次のビー玉を貰うためにセラピストの手元に手を伸ばしてきました。それは、”ちょうだい”というよりは”奪う”というニュアンスがぴったりくる手の伸ばし方だったので、セラピストがその手を制し、R君の手のひらを上向きにさせて(ちょうだいのポーズ)、ビー玉を一つ置き、また缶に入れてもらいました。そしてまたすぐさま手を伸ばしてくるので、それを制して手のひらを上に向け…そういうことを何度か繰り返しました。
そうすると、やがてR君は手のひらを上に向けるとビー玉がもらえるということをなんとなく理解していき、自分から手のひらを上に向けることも出てきました。セラピストが「偉い!」と褒めますが、この時点では笑顔や褒めに対する反応はありません。ひたすらに”次のビー玉ちょうだい!”という感じで、おしりが半分浮いていました。
これは何をしているのかと言うと、R君の人との関わり方や、要求の仕方、他者からの働きかけに対する反応の仕方を見ているのです。ある程度着席して居られるのかどうか、対面する相手にどのくらいの注目が出来るのか、相手から働きかけられた時にその意味をくみ取り、相手に応じることがどのくらい、どんな方法で出来るのか、そういったことをアセスメントする(調べる)のは、トレーニングの開始にあたってとても重要なことです。R君の場合、セラピストへの注目はほぼ皆無で、人よりモノへの注目が高く、気になるものがあると飛びつかずにはいられない様子が見られました。しかし、簡単な言葉の指示+ジェスチャー(椅子を指さす)があれば、それに応じられる時もあり、パターン化したやり取りであれば、短時間の内にそれを学習できる可能性があることも分かりました(例:手のひらを上に向ければ、ビー玉がもらえることが分かる)。
他にも簡単な型はめパズルや、マッチング課題などを行い、R君の様子を一通り観察した後、改めてお母さまにお話を伺いました。
現在(2歳を過ぎたころ)で、有意味語と呼ばれる、意味のある言葉は出ていないこと、親が言ったことは、簡単なことなら分かっていそうなこと(「座って」「お風呂だよ」など)、偏食が強いこと、動きが多くて外出時は危険が多いこと、怒るとかんしゃくがひどいこと、歯磨きを嫌がること、道を覚えることがとても得意で、病院に行くための道を通るとすごい勢いで泣き出すこと(注射の嫌な体験と結びついているようでした)、などが聞かれました。
お母さまの希望としては、
- 言葉を話せるようになってほしい
- 落ち着いて、言うことを聞けるようになってほしい
というものだったので、セラピストからは
- 言葉の発達を促すためのトレーニング
- お母さまからの日常生活での困りごと、接し方についての相談と助言
この2つを中心に相談を勧めていくことを提案し、次回から月2回のペースでご自宅に訪問し、実践していくこととなりました。
〔2回目以降のトレーニング・カウンセリング〕
セラピストが用意したプログラムは以下のようなものでした。
・ビー玉落とし
”ちょうだい”+”どうぞ”でモノを貰うこと、短時間待つことなどを目的としました。
・マッチング
ことばの基礎となる、同じもの同士を結びつける練習、課題でのやり取りを通して身近な物の名前に触れる経験、を目的としました。
・パズル
基本的な認知の力である、形を見分ける力を養う練習。ビー玉落としと同様、パーツを渡す際に”ちょうだい、どうぞ”のやりとりを行い、言葉の基礎である双方向のコミュニケーションにも重点を置いていました。
・絵カード
身近な絵が描かれたカードを目の前に2,3枚並べ、「りんごちょうだい」の言葉がけ+指差しでリンゴのカードをパペットや手作りのポストに入れてもらう課題。「りんご」という音とリンゴのカードと言う視覚情報を結びつける目的があります。
また、全体を通して着席の練習(次年度の就園を見越して)、セラピスト(他者)の指示に注目する、という練習も行っています。他者に注目するということは言葉の発達だけでなく、集団生活での適応面を考えても、重要なスキルです。
トレーニングの様子ですが、当初R君は着席し続けることが難しく、課題の途中でも課題の合間でも席を離れ、セラピストの道具を触りに来たり、違うオモチャで遊びだそうとしましたが、お母さまにも協力してもらい、席を離れる前に体を止めてもらったり、セラピストがR君の集中力を見極めながら次々と魅力的に課題を提示していくことで、徐々に座れる時間が伸びてきました。
ビー玉落としは初回に実施したこともあり、数回の復讐で手のひらを上にして”ちょうだい”のポーズをとることが出来ました。”ちょうだい、どうぞ”のやりとりは親子間だけでなく、今後他者とかかわる際の重要なコミュニケーションスキルなので、家庭でのやり取りの際にも取り入れて頂くようにお願いしました。
マッチングの課題では最初は全く同じ絵カード、例えば”リンゴの果物模型”と”リンゴの果物模型”を組み合わせることから始め、徐々に”リンゴの果物模型”と”リンゴのイラスト”や、”リンゴの写真”と”リンゴのイラスト”などをマッチングできるように難易度を上げていきました。「リンゴ」という言葉を発する前に、”リンゴの実物”と”リンゴの写真(イラスト)”、そして”「りんご」という音”の3つが同じである、という理解を養うことが大切なのです。この理解をベースにして、やがて口の周りの筋肉の発達が進み、「リンゴ」という音を発する、つまり、「リンゴ」と喋れるようになるのです。
パズルは直接言葉に結びついているわけではありませんが、基本的な認知の力を向上させるのには重要なことと、R君が好きな課題だったので、中休みや気分転換的に意味合いも込めて実施しています。トレーニングでは苦手なことだけではなく、得意なことを伸ばすことも重要です。型はめ、2ピース、4ピースとどんどん上手になっていきました。
絵カードの課題では、最初はセラピストの指示など聞かず、自分が入れたいカードを選んで強引に渡してきたR君でしたが、何度か練習し、徐々に指さされたカードを渡してくれることが増えてきました。言われた音と、目の前のカードが同じであるということの練習でもありますが、このように”指示される→応じる”というコミュニケーションの基本的な練習でもあります。最初は褒めても全く笑わないR君でしたが、セラピストが一人キャッキャと喜び、褒めていると、次第ににやりと笑うようになってきました。とても可愛かったです。
さて、数回のこういったトレーニングを経て、R君がだいぶん着席していること、セラピストに注目を向け、セラピストの指示を聞く事に慣れてきたころ、別の課題も開始しました。
・動作模倣
セラピストが万歳をしたり、手を叩くといった単純な動作をし、それを真似てもらうというもの。真似が出来るとご褒美がもらえる仕組みです。この、”真似る”という行動は学習を成立させるとても重要な要素です。人は皆子どもの頃、大人を真似ることで様々なことを学び、吸収していきます。言葉の発達も同じです。まずは動きから、大人を真似るという経験をしてもらいました。
最初はお母さまに手伝っていただき、セラピストが万歳をしたら、R君にも万歳をしてもらいました。同じ動作が出来たらすぐさま褒めてご褒美を渡し、また繰り返します。R君はこの課題の意味を理解し、すぐに動作を真似することが出来ました。そして、次の段階です。
・音声模倣
動作模倣をしながら、例えばセラピストが両手を頬の横で広げて「あ!」と音を出します(驚いた時のような)。それをR君にも真似てもらう、というものです。言葉の理解が進んでくる頃に、意識的に音を真似て出す、するといい経験(褒められる)が出来、また音を出したい(ことばを話したい)、という気持ちを高めることが目的です。有意味語を話す前の段階と言っても良いでしょう。
この課題も、R君は「あ」や「お」「ぱ」や「ば」などいくつかの音を真似することが出来ました。こうなってくると、あとは出せる音の中から2音程度の組み合わせを選び、言葉に繋げていけます。「ぱぱ」「ぱん」などなど。言えた言葉があれば、その言葉のカードなどをとって、R君とセラピスト、お母さまと一緒に食べるふりをし、箱にしまうなどして遊びました。
このようなトレーニングを実施する間、お母さまにも宿題をして頂きました。それは
- 何かモノをあげる時、あるいはR君が要求してきたとき、無条件であげるのではなく、”ちょうだい”というジェスチャーをさせる、そこにお母さまが「ちょうだい」という言葉を言って、渡すときには「どうぞ」と言う
- お母さまが積極的にR君の動作や、喃語を真似する
というものです。
R君に真似をしてもらう前に、お母さまがR君の真似をし、”君の事を見ているよ”、”君に関心があるよ”と伝えてもらい、R君にお母さまとのやり取りや、お母さまの反応に興味を持ってもらうためです。”人と関わることが楽しい”、”お母さんといると面白いことが起きる”こういう気持ちを持つことが、言葉の発達や対人関係の発達においてとても重要なことなのです。一方的にR君に発語を促すわけではなく、お母さまから積極的にR君に関わり、やりとり、コミュニケーションの楽しさを伝えることが重要だと、繰り返しトレーニングの中で伝えさせて頂きました。お母さまも積極的に宿題に取り組んで下さり、おどけた調子で「ぱ!」とポーズをとってみたりして、割と楽しく家庭でのトレーニングに取り組まれたそうです。ただしお母さまだけがおどけているだけで、R君に見向きもされないことも多々あり、寂しい気持ちにもなったそうですが、よくあることです。励ましながら、くじけず頑張って頂きました。
そういった取り組みもあり、10数回程度、初回の相談から4,5か月経つ頃、無発語だったR君は「パパ」や「ママ」などの言葉や、上手く発音できない言葉でも「うーま!(くるま)」などの言葉を話せるようになっていました。お母さまやお父様も言葉が出てきたことに非常に喜ばれ、もっと言葉を引き出して、いろいろなやり取りをR君としたいと話されました。喜ばしい限りです。
さて、このようなトレーニングと並行して、お母さまからの相談も受けていました。
主なモノはトイレトレーニングに関すること、食事に関することなどです。また、次年度の就園も控えていたため、園選びの件に関しても相談を受けました(詳細については長くなるので、また別の記事でまとめたいと思います)。R君は結局、お父様の出身園である、私立の幼稚園に入ることになりました。R君の様子を見ていたお母さまは入園させてもらえるかどうか非常に不安だったそうですが、入園前の面接で「R君のペースに合わせてやっていくから大丈夫!最初は教室にはいれなくても、だんだん入れるようになっていくから」と言われ、ホッとしたそうです。
今後は、発語に関しては一定のめどがたち、あとは日々の生活の中で経験を豊かに積み、様々なことへの興味を育てること、周囲の大人が二語文程度の優しい言葉がけで接すること、R君のペースで言葉が伸びていくことを伝え、トレーニングは一度終了してもいい旨を伝えましたが、お母さまが就園後の適応面に不安があるとおっしゃられたこともあり、とりあえず月に1回のペースでフォローアップの相談を続けさせて頂くこととなりました。必要があり、園の方も許可してくださるようなら、セラピストが園訪問をし、R君の指導方法や教育方法について情報共有が出来ることも伝えてあります。