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4月6日 水俣市→宇城市[道の駅「不知火」]→熊本市[熊本城周辺散策]

2019.04.15 06:55


今日は水俣市を出て不知火海を北上。


八代市を通り、隣の宇城市へと向かう。


途中の道の駅「不知火」で車を停めて温泉♨️&ランチで一休み。




温泉の前では、和太鼓の演奏が。


舞台の奥が玄関なので、温泉に入るには舞台に上がることになる。


演奏を見ている大勢の観客の前で温泉へと向かうのは、なんだか照れ臭い。



風呂上がりに、隣のレストランで、名物「だご汁」をいただく。


「だご」とは団子のことらしい。


中には「すいとん」のようなお団子がいくつか入っていて、根菜類、イカ、貝、アワビ、エビなどの海鮮が、これでもか!というくらいタップリ入っている。


大満足の逸品であった。




午後、一行は熊本へ。


熊本市は、日本最南端にある政令指定都市。


九州では、福岡市、北九州市に次いで人口が多いという。


街の中心は熊本城。


熊本城周辺地域約550haには厳しい高さ制限が設けられ、景観を守っている。



城の周辺には古い城下町も残り、チンチン電車が街を走り抜け、


城から少し離れた熊本駅周辺は再開発中ということで、高層ビルも目立つ。




城下町の散策は、後のお楽しみということで、まずは熊本城へ。


二の丸駐車場に車を停め、熊本城周辺を散策することに。



駐車場に至るまでの道すがら、ところどころに立派な木陰のある庭園を目にする。


遠くからは、ボール遊びをする子供たちの嬉々とした声がこだましてくる。


ここは運動公園なのだろうか……⁈


とてもお城の中にいるとは思えない。



地図を見ると、二の丸広場は熊本城のほんの一部。


天守閣を中心に広がる城郭は、この広場の何倍もある。



熊本城というと、加藤清正が築城した、「武者返しの石垣」が有名な、難攻不落の名城であることは知っていたが、これほど大きいとは思わなかった。

 


晴天の休日とあって、二の丸公園の芝生にはシートを敷いて花見を楽しむ人が多い。



熊本城は、2016年の熊本大地震で大規模な損壊を被った。


2020年の修復完了を目指し、現在、急ピッチで作業が進められている真っ最中。


残念ながら二の丸から先、本丸へ向けてのエリアには入ることはできない。




二の丸公園の片隅から、修復中の天守閣仰ぎ見る。



堀を挟んで目の前にある「戌亥櫓」の基部は半ば崩壊し、露出した角石で辛うじて櫓を支えている。




崩落石材の復興工事の手順がよくわかる展示があった。




崩れた石垣は、安全対策のため防御ネットで外側を固定。



外側の大きな石は、取り除かれ、




この大きな石の一つ一つに番号や記号を書き込まれ、整然と並べ置かれている。


新たに基礎を固めてから、パズルのように、元通りに組み直すという。



復元までには、相当の仕事量が必要となることだろう。





熊本城には、西南戦争で西郷軍の執拗な攻撃を、谷干城率いる官軍が撃退したことで知られ、


二の丸広場には「西南戦争籠城家族避難跡」の碑が残されている。




そして、また、西南戦争に先立ち勃発した神風連の乱も、この地で激戦が繰り広げられている。




二の丸公園内には、立派な樹木が、そこかしこに残っている。


優に数百年の年月を経ているだろう。





うららかな春の、のどかな昼下がり。


そんな戦闘が繰り広げられたなんて、とても想像できない。





ただ、ここにそびえ立つ樹木や城跡はだけは、


そんな人々の呻き声、泣き叫ぶ声を聞いていたに違いない。





二の丸広場の木陰にビニールシートを敷いて、ひと休み。


周囲はアルコールも入って賑やかだが、我々はジュースとお菓子をつまみながら、桜の花を取り巻く人々の宴を、ぼんやりと眺めていた。