京都庭園散歩 青蓮院門跡・建物編(2019年04月)
概要は、青蓮院門跡(2018年11月)に載せています。
今回は観桜を兼ねて訪れました。前回無かった植髪堂や華頂殿などを掲載するとともに、少しだけ詳しく載せています。
粟田神社から粟田口あおくすの庭を抜けて、
山門(薬医門)前の参道へ。
薬医門の右手には、京都市の天然記念物のクスノキの巨木と長屋門があります。クスノキの巨木は親鸞聖人の手植えと伝わるもので、境内に5本あります。長屋門は明正天皇の中和門院の旧殿の門を移築したものです。
薬医門を潜って入ると、左手に行くと植髪堂が、右に行くと寺務所があり庭園の入口があります。
植髪堂は、養和元年(1181年)に親鸞聖人が9歳のときに、青蓮院第3世門主慈円(慈鎮和尚)のもとで得度した時に剃り落とした髪を奉っています。現在の建物は文化8年(1811年)に建てられたものです。
植髪堂正面(右側と左側から)
左側(北側)の奥に、親鸞聖人遺髪塔(左)と子授け観音像(右)があります。
戻って、寺務所にある庭園入口の方に行きます。
境内順路図。(撮影位置を補足するために、a~ff までの番号を書き込みました)
薬医門を潜って(a)左に折れると寺務所の前(c)に出ます。
庭園入口に向かった左手には土蔵と右隣に休憩所があり、屋根越しに桜が見えます。
庭園入口に向かって右斜め前方には石燈籠と小さな門(d)があります。
庭園入口に向かって右手には石庭があります。宸殿の北側にあたります。
受付を済ませ売店の前を通って華頂殿(白書院)へ。華頂殿には、三十六歌仙の額絵と木村英輝氏奉納の蓮の襖絵(60面)があり、相阿弥の庭が一望出来ます。入った中央の部屋。
左(北側)側の部屋。
北側の窓から、華頂殿と叢華殿との間の庭が見えます。
入って右側の部屋の全景と床の間と違い棚と書院窓。
南側から東側に見える相阿弥の庭。南側端から東に向けて順に見ていきます。室町時代の相阿弥の作と伝えられ、粟田山を借景にした池泉回遊式の庭です。
戻って小御所の方に行きます。西側の部屋の衝立。向かって右が入口(見えてるのは売店)、左は小御所へ行く廊下。
華頂殿から小御所へ行く渡り廊下の途中(g)(衝立のある所から右側)から、庭園に下りる中庭が見えます。奥に見える小門は、寺務所に入る時、右奥(d)にあった門です。
廊下の途中から左手に相阿弥の庭が見えます。
廊下を突き当たると(k)2つに分かれます。真っすぐ進むと小御所へ、右に曲がると宸殿に行けます。小御所に向かって左手が相阿弥の庭、右手が宸殿との間にある庭です。小御所へ渡る廊下の左に見えてるのが、豊臣秀吉寄進の「一文字手水鉢」です。
一文字手水鉢の所から東方向の相阿弥の庭。
小御所を真っすぐ廊下を歩き、北東角(m)から北方向の相阿弥の庭。池は「龍心池」と呼ばれ、反りの美しい石橋は「跨龍橋」と呼ばれています。
北東角(m)から南の方を見ると向こうに本堂が見え、廊下の下には龍心池が細長く伸びて来て、鯉がいます。
廊下を進んで、小御所の南東角(n)から振り返って一文字手水鉢の方を見た景色。(小御所の内部南側は撮影禁止です)
小御所の中(mとnの間)から相阿弥の庭を見た景色。
同じ南東角から南(本堂)側を見た景色。
小御所は入母屋造・桟瓦葺で、天皇の仮御所として使用されていた建物を、明治26年(1893年)に焼失後に復興されたもの。
(h)の位置まで戻って、小御所西側と宸殿との間の庭。小御所西側の廊下から宸殿前の左近の桜が見えます。
小御所から渡り廊を伝って宸殿へ。
渡り廊下の途中から小御所と宸殿の間の庭。
突き当りを左に折れて宸殿東側の廊下へ。宸殿は東福門院の御所が寄進されたもので、入母屋造・桟瓦葺で小御所と同じく明治26年に焼失後に復興されたもの。障壁画浜松図は重要文化財に指定されています。
東側の廊下を真っすぐ行く(j)と左近の桜があります。
宸殿東南角(j)から本堂。本堂は、方三間・宝形造で、堂内の厨子に本尊の熾盛光(しじょうこう)如来を安置しています。
宸殿東南角(j)から宸殿西側、右近の橘と鐘楼。
宸殿中央の廂の階段を下りた所から左近の桜と鐘楼。
宸殿の西側に回って(k)四脚門と大玄関。四脚門(御行門)は明正天皇の中和院旧殿の門を移築したもので、明治26年の火災から免れています。
これで建物の拝観は終わり、一度入口の売店まで戻り、中庭に下りて今度は庭園を巡ります。庭園編に続きます。
2019年04月05日撮影