4月8日 宇城市→熊本市→五木村(85km)
今日は、一旦熊本市内に出て、トヨタで空気圧調整を行い、少し元来た宇城市方向に戻る感じにはなるが、五木の子守歌で有名な五木村へ向かって走る。
途中、「浮気調査」と書かれた大きな看板が、目に飛び込んでくる。
よくよく見ると、背後にあるのはラブホテルだった。
中国では、公営の大きな病院の前に、花屋、果物屋、と並んで葬儀屋が営業しているのを見かけたが。
そうこうしているうちに、車は山道へ。
なだらかな上り坂を登っていると、突然、ナビの画面に こんなラインが現れ、二人戸惑う。
何かと思っていると、これはループ橋であった。
急斜面を登ることになるので、短い距離で山を一周グルリと回るように道が通っているのだ。
画面だけ見ると、立体感がないので、あんなラインになるらしい。
道自体悪くはなかったが、かなりハードな峠越えだった。
このあとも、しばらくはグニャグニャになった糸蒟蒻のような道が続き、ようやくトンネルに五木の子守唄をイメージした絵柄が。
ここから五木村だ。
しばらく進むと、橋の向こうに集落が見えてきた。
橋を渡ると、すぐに道の駅「子守唄の里 五木」に到着。
それまで随分と辺鄙な山道を走ってきたので、いきなり開けたベッドタウンのような風景に戸惑う。
周辺の家々が、一つ残らず、どれも新しい感じ。
屋根瓦の色を見ると、郵便局や警察といった公共施設も、何もかもが同時期に一斉に建てられたものだとわかる。
高校(写真 上)も、他の施設同様、統一感のある瓦屋根の古民家風だ。
これは何かある。
まさか、地震の被害で村が全滅したとか……。
当時、我々夫婦はモンゴルにいたので、詳しい被害状況についてはよくわかっていない。
だとすれば、大変なことが起きていたに違いない。
道の駅のすぐ隣にある「五木温泉・夢唄」で入浴した際に、受付の男性に何気なさを装いながら聞いてみる。
すると、やはり、この集落は最近できたものではなかった。
地震で壊滅したのではなかったことに安堵しながら話を聞くと、ここは15年ほど前、川辺川ダム計画のため、水没予定地から集団移転してきた住民たちのニュータウンなのだそうだ。
しかし、現在、このダム計画は、八ッ場ダムと同じ時期に中止となっている。
住民たちの元々の家はというと、移転同意の保証金を受け取る際の条件が、土地を更地にして引き渡すという事だったので、皆一斉に家や畑、全てを更地にしてしまったということだった。
住民たちは保証金を元に、新たに造成されたこの土地を買って家を新築したが、中には新天地へと向かった人もいるという。
「五木の子守歌の里」と観光誘致をしているものの、五木村の中心地を含む大半の村里は、消滅してしまったのだ。
やっぱり……。そういうことだったんだ。
複雑な思いを抱えたまま、今晩は道の駅「子守唄の里 五木」に宿泊。
山村の道の駅には、我々の他、車は2台ほど。
だが、村の中心部なので、それほど淋しくないだろう。
寝る前に、ちょっと晩酌。
熊本に入ってから、ずっとずっと気になっていた、五木村の名産「山うにとうふ」(豆腐の味噌漬)を購入してあったので、おつまみにして ちびりちびり。
瓶詰めのウニのような、コクのある、まろやかな味わい😍
酒のツマミに最適であった。