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EDICOLANTEのイタリア小さな可愛い街の旅行記とコラム

ラヌーヴィオ Lanuvio

2019.01.26 23:37

ラツィオ州 ローマ県 カステッリ・ロマーニ地方

城壁に囲まれている町。アントニヌス・ピウス(Antonino Pio)と孫コンモドゥス皇帝の出生地。この町の名の由来は、 近くにローリエ(Lauretum)の森があるからだと言われている。


歴史

★ 古代の神話

紀元前9世紀以上前からの歴史ある町。城壁外にはユーノー神殿があり、遺跡が多く発見されている。旧市街内にはエルコレ神殿(Tempio d’Ercole)があった。


★ 古代ローマ ラヌウィウム

古代ラヌウィウム(Antica LANUVIUM)の町。

火山岩のブロックを不規則に重ねて作るローマ人の砦があった。9世紀には既に城があり、サラセン人などから防御のため、ローマ時代に建造された城壁を再利用して砦を再建

11世紀にラヌーヴィオの旧市街(Civita Lavinia)に、ベネディクトゥス修道会が5つの塔を作ったが、幾度も外敵が攻めて来るため修復に修復を重ねていた。特に有名なのが1347年の攻撃で、フランジパーネ家(Frangipane)による、要塞と14世紀の建物損壊の記録である。

15世紀末にパレストリーナのコロンナ家の所有へ。

1564年に、大ジュリアーノ・チェザリーニ(Giuliano Cesarini)が、この町とアルデーアの町を 105,000スクーディで買い占めた。

1800年代に砦が修復され、現在も4つの塔が残っている

1892年1月23日の地震で被害に遭った。

第二次世界大戦中に幾度も戦火になり、地元民の被害者も出す壊滅的な被害に遭った。


見どころ

★ 街のメインの塔  Torre Maschia

ローマ門の塔。10世紀頃の城壁と塔。外敵や第二次世界大戦で何度も爆撃にあったが、保存状態はとても良い。現在は塔内の見学も可能。

初めに修復をした、11世紀のローマ教皇ウィクトル3世(Vittore III 1086-1087)の紋章付き。本名ダウフェリウスはベネヴェント公ランドルフォ5世の子として生まれ、13歳でモンテ・カッシーノ修道院に入りその後、院長となり、ローマ教皇に。

15世紀末にパレストリーナコロンナ家の所有へ。その後、何度も修復を重ねチェザリーニ家へ。 

17世紀に牢獄となり、1559年にローマ教皇パウロス4世の甥っ子も収容された。下の写真はギロチン。

塔内には、パンを焼く窯や囚人の部屋、貯水槽がある。

★ テノール歌手ジャコモ・ラウリ=ヴォルピ

塔の外壁にはこの街の出身者、1920年代から1950年代にかけて活躍したイタリアのテノール歌手ジャコモ・ラウリ=ヴォルピの碑文がある。

★古代ローマの水道を利用した噴水

マッツィーニ広場の噴水( Fontana di Piazza Mazzini)は1675年1月21日、フィリッポ・チェザリーニ(Filippo Cesarini)の命で、トンマーゾ・マッテイ(Tommaso Mattei)設計で完成した。岩の噴水と同じ年に、ローマ時代の水道を修復し清掃して再利用された。

サンタ・マリア・マッジョーレ広場にあった、 ローマ時代の石棺が使われていたが、博物館に運ばれ、現在はペペリーノ(胡椒のような黒いつぶつぶ模様のある凝灰岩)製の小さな水受けがある。水受けの下にもライオンの足が見られる。


★ 岩の噴水 Fontana degli Scogli

1675年、フィリッポ・チェザリーニ(Filippo Cesarini)の命で、建築家カルロ・フォンターナ(Carlo Fontana)作の噴水。岩でできており、現在も建設当時のまま残る。現在のスイス出身で、若くしてローマにて、ピエトロ・ダ・コルトーナやカルロ・ライナルディに学び、 ベルニーニの仲間に。しかも、18世紀に活躍した建築家のほとんどが彼の影響を受け学んで育った。


★ コロンナ宮 

1480年建設。16世紀の海軍司令官マルカントーニオ・コロンナ( Marcantonio Colonna)の生家。 1571年のレパントの海戦(Trionfatore di Lepanto)時に、教皇庁艦隊司令官を務めた。カラファ家(Carafa)、1564年にラヌーヴィオの街全部を、アルデーアの街と共に、ジェンツァーノ・ディ・ローマをも支配していたチェザリーニ家へ。何度も再考案し修復、最終的には未完成である。現在、建物は個人所有で未公開。


★ コロンナ宮の噴水 

1689年(1675年?)フィリッポ・チェザリーニ公がコロンナ宮の正面に、大理石の石棺の水受けがある噴水を設置。 アッピア街道にある、チェザリーニ家の郊外の家から出土された3世紀末から4世紀頃の石棺。二面だけ装飾されている状態で出土。水が吹き出るマスケローネはユーノー神の顔。


★ 博物館 Museo Civico Lanuvino

ユーノー神殿での発掘遺跡や、ローマ時代の邸宅の床のモザイク等が展示。 見どころは、アウグストゥス帝時代のフレスコ画の断片、via Giovanni XXIIIから出土した紀元1世紀末のフレスコ画、羽の生えたゲニウス、ディオニュソス関連の大理石の破片、アントニーノ劇場の紀元2世紀のグリフォンの姿をした大理石の手すり。紀元前3世紀の古代の奉納物。教会に置かれていた対のライオン像など。

Museo Civico Lanuvio

住所 Via San Lorenzo 2/4

夏時間: 月、火、木、土:10:00~13:00、水、金、日:10:00~13:00、16:00~19:00

見学無料だが、出身地と名前とサインを書く必要がある。


★ サンタ・マリア・マッジョーレ教会 Chiesa Collegiata di Santa Maria Maggiore

聖母マリアと、 サン・フィリッポとジャコモに捧げられたロマネスク-ゴシック様式(Stile romanico-gotico)の教会。

ローマ時代のドームスと呼ばれる集合住宅の遺跡上に建設。教会内左に紀元1世紀のモザイクの床が見つかっている。(現在は博物館内に展示)

教会は13世紀には既存し、1240年に神父ジョヴァンニ・サラチェーニによりロマネスク様式に改築。1675年、カルロ・フォンターナ設計で修復。身廊だけを残し、教会正面にフィリッポ・チェザリーニ公の紋章と、修復した年とフィリッポ・チェザリーニ公の名が入れられた。

1680年の鐘楼は、バロック様式のボッローミニ風でトンマーゾ・マッテイの設計。2つの鐘楼を加えることが、チェザリーニ公と町の人々の願いだったが実現されることはなかった。

教会内部は、12世紀の絵画が並ぶ。左の入り口の礼拝堂にはドメニキーノ作だと言われている絵画『Rappresentante la deposizione della croce di San Filippo』がある。

時間 7:30~12:30、15:00~19:00


★ 聖地教会 Santuario della Madonna delle Grazie またはMadonna Pellegrina

マドンナ・デッレ・グラツィエ教会。旧市街からアスツゥーラ通りの坂道を下った場所にある12世紀の教会。1400年代にフランチェスコ会が近くに修道院を建てたため、西側の古い入口を閉じ、南側に新しい入口を作り高い場所に再建した。1500年代末にファサード突出部が付けられ、ビフォラ窓が加えられ後期ゴシック様式となった。

1700年代の奇跡の聖母フレスコ画(Madonna delle Grazie)がある。現在の銀の王冠をかぶる聖母子は、1970年代に盗難にあったため制作された模作品。1523年に教会を拡張したため、14世紀の凝灰岩部分に、まだ古いフレスコ画が眠る可能性が高い。修道院に申請すれば、自宅に聖母子画を運び祈りを捧げることができる。5月にこの町のイベントがある。


★ ユーノー神殿 Tempio di Giunone Sospita

部分的に一般公開。博物館で事前予約をしてガイドをしてもらう方が良い。

ユーノー神(Giunone Sospita)のこの町の紋章は、山羊の皮のマントをまとい蛇がいるデザイン。

(次回訪問)


★ アイネイアースの輪  Anello di Enea

エルコレ神殿広場には、ローマ建国伝説のロムルスとレムスの先祖、英雄アイネイアースが来た時、船を停める時に使った鉄の輪が、壁にかけられているという伝説がある。しかし、ローマの先祖がこの地へ来た時には当然、ローマ人はいなかったのですから事実でなく、伝説に過ぎない。


★ スフォルツァ・チェザリーニ学校  Scuola via Sforza Cesarini 

多角形の建物。かつては学校が男子校と女子校の2ヶ所に分けられており、ひとつはラヌーヴィオの1930年代のネオクラッシコ様式。数年前まで使われていたが、老朽化のため 現在はイベント等で使われているのみである。真鍮製のラヌーヴィオの紋章がある。


★ スタンピリア通りの宮殿 Palazzo di Via Stampiglia

凝灰岩の建物。1600年代の詩人、オペラ台本製作者シルヴィオ・スタンピリア(Silvio Stampiglia)の名がついた宮殿。

(次回訪問)




★ 古代ローマのロレート橋 Ponte Loreto

現在は静かな小さな町だが、ローマ帝国時代は、海辺の町アンツィオアルデーアから内陸へ向かう重要な場所で、交通量も多かった。ラヌーヴィオの街から海方面に向かうアスツゥーラ通り(via Astura)沿いに並行し、石が敷き詰めてある古代の街道が残っており、ローマ時代の橋も現存する。紀元前8世紀には存在していた通りや橋である。ここからラヌーヴィオの町の全景も眺められる。


★ コンモドゥス帝

ローマのカピトリーニ美術館には、この町出身のコンモドゥス帝像がある。


★ チェントゥリペ広場の噴水  Fontana di Piazza Centuripe

チェントゥリペ広場にはローマ時代の遺跡がある。大きな劇場が旧市街のほとんどを締めていたけれど、中世の時代に家が建てられ、現在広場には、噴水がある。劇場の遺跡の上につくられてるのが面白い。 Viale Alcide de Gasperi に8.5mの壁が残ってる。

(次回訪問)


特産品

★ ワイン DOC Colli Lanuvini や Colli Lanuvini superiore
★ 修道院で作られたジャム

他にはオリーブ、フルーツ、花、野菜の産地。


お気に入り店

★ パスティッチェリーア


★ フォルノ



イベント

イベントの多い時期は地区ごとに旗が揚げられている。



アクセス方法

電車

ヴェッレートリ行き


出土品

★ ローマのVilla Poniatowski

ラティーノ・エトルリア時代の 魔除け。アンテフィクサ。

antefissa di menade con nimbo traforato (500 a.C. dal Tempio di Iuno Sospita a Lanuvio)



ブログ

2018.01.27



2013.10.


参考

役所

Wikipedia

Castelli Romani

Impero Romano