人は人とコミュニケーションとりたいわけじゃない
人は人に肯定されたいだけである
人に肯定されることによって、自分が間違ってないと言われたいだけである
人に否定されると腹がたつのは、相手に自分の意見を否定されたからである
自分の意見と自分自身は別のものであるが、自分の意見を否定されると自分自身を否定されたように感じるからである
自分の意見=自我
となると、自我は自分の思考である
自分=自我=自分の意識=自分の意見
よって自分の意見を否定されるのは自分の存在そのものを否定されたように感じるからである
人と人とは完璧な意思疎通は出来ない
もし出来たらそれはテレパシーだし、同一人物である
しかし、我々は共感を求める
コミュニケーションの本質は共感である
共感を求めるから人間は会話をする
このときAは相手に共感を求めているのであって、意見は求めてない
共感=肯定=自分の意見の肯定=自分の存在の肯定
自己肯定感をつけるためには他人からの共感と肯定が必要である
他人から全く共感されず、肯定されないと自我は満足せず、自己肯定感を持ち合わせることが出来ず、欲求が解消されない
我々は自分の欲求のためにコミュニケーションを求める、共感を求める、肯定を求める
よって、自分を肯定してくれる人間だけを求めるようになる
そうすると周りは自分と同じ意見の人間に囲まれる
そういう人間の集合体の中に入ることによって、欲求は承認、解消され、安心して、身を委ねる
これが類は友を呼ぶの状態であり、一種のコミューンとなってる
この状態を世界の外、つまり外部に求めるのが一般的であると認めており
自我の内部に求めるのが引きこもりである
よって、引きこもりはそれ自体が一種のコミュニケーションであり、それ自体が思考であり、自我であり、彼ら独自の意見である