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あいん's Cafe

マジでやる気のない子どもに算数の教え方

2019.04.19 10:02

★ぱぱにっき

 賢い子ほどやる気の魔法は早く解けてしまう

 やる気のある子どもに教えるのならば、教え方は世の中にごまんとある関連書籍の中から教え方を学ぶことができますし、少々くらいやる気のある子どもなら、褒めて伸ばしたり、子どものやる気をアップさせる関連書籍だってごまんとあります。

 素直で、純粋である意味「騙されやすい子ども」なら、それらは大いに効果も望めます。

 しかし、 子どもを褒めて良い気分に乗せてやる気を引き出すことも、 良い意味で競争心を煽ったりしてやる気を引き出すことも、 馬にニンジンのようにご褒美やポイント制みたいな方法を取り入れることも、 そのやる気は多くの場合、一時的なものにすぎません。 まあ、素直で純粋な子は、長く騙されてくれるものですけど、 やる気になったらすぐに成績がアップするわけではありません

 いやでも一定量の努力を重ねなければ実力は身につかないのです。 やる気のあるうちは努力を努力とも思わずに励んでくれるのですが、 賢い子ほどやる気の魔法は早く解けてしまうものです。

 集中力が強く、ひとつしか見えない、愚直なほど不器用な子ほど一度やる気のスイッチが入れば、その道を極めやすいのですが、器用で賢い子ほど、面倒なものは面倒です。 そう、やる気の暗示はいとも簡単に解けてしまい、努力をサボるようになります

 子どもの勉強法や、親の教え方に関する数百の書籍を読んでみても効率のよい勉強方法や、子どもをやる気にさせる方法しか情報がありませんでした。 もし、飽きやすい子どもでしたら、どんなに良い方法を用いても、 やる気が切れたら、また別の方法でやる気スイッチをいれるしかなく、 しかも、同じ方法は使うたびに効き目も弱くなります

 やる気スイッチって本人が“それ、もう要らない!”と思ったら無用の代物です。 しかし、やる気の魔法があまり効かない子は、即ち賢い子なのです。 確かに、なかなかやる気が燃えてくれませんが、 一度燃えると、とても大きな炎を出してくれる逸材でもあるのですからです。

 そんな我が家の妻と娘のバトルを数年間も見守ってやっと気づいたことがあります。 我が家も最初は、あの手この手を使い娘のやる気に火をつけて、 できるだけ自ら興味をもって勉強やピアノなどたくさんのことにチャレンジさせてきました。 しかし、どの種目も成長にはそれなりの努力が要求されます。 最初(やる気があった時)は楽しかった勉強も努力が必要になる途端にめんどうになっていきます。 そんな娘の態度に堪忍の緒が切れた妻は、娘に勉強を強制することになります。 まあ、初期投資もただじゃありませんからね(笑)。

 めんどうになりかかった勉強が強制されはじめるとさらに嫌になります。 

娘は、あの手この手で勉強から逃げようと必死です、 しかも、賢い子ほど口答えや逃げる弁明も上手なわけです。 大人もバカじゃないので、子どもの弁明はすぐに見抜け、叱って諭そうと必死です。 子どもはさらに賢くなって、言い負かせできない弁明(理由)を持ち出してきます。 

もはや誰のために、何のために、戦っているのかわけのわからない状況になっていきます。 

まあ、ざっとこれが、我が家のいつもの妻と娘の「習い事対戦」ですね。 どんな勉強(習い事を含む)だろうが、楽しいだけで終わるわけがありません。 色んな仕掛けの手法を使って作り出したやる気で、 少しの間は子ども自身の気持ちを誤魔化しても、結局は面倒は面倒で苦行なわけです。 それを乗り越えた先に「頂上」あるんだよっと、 未来を語って、大人ぶった説得をしてみても、所詮子どもです。目の前のことが全てです。 よく娘を観察してみても、未来のために努力も必要であることがわからないわけではなさそうです。 ただ、今この瞬間めんどうから逃げたい一心なだけです、明日のことは明日考える…っと。 ある意味りっぱな人生観ですけどね(笑)

 とにかく、一度嫌になってしまってはなかなか最初の頃のように勉強に取り組んでくれません。 昔使った何十ものやる気アップのスイッチは賢くなった娘に効きそうにありません。 まあ、簡単に騙されてくれません(笑)

 ある有名カリスマ教育者の子供のやる気を出す3つ言葉を借りると。 

・自分が設定した目標を成し遂げたい 
 →いっしょうだらだらしたいのが目標のようです。
・友達に負けたくない 
 →負けたくはないけど、別にどうでもいいらしいです。
・親を喜ばせたい 
 →気持ちはあるけど、めんどうはいやみたいです。

 良くも悪くも我が子、僕と妻の良い所も悪い所もすべて遺伝されているようです。 僕と妻の悪い点を完全にあわせるとさすがに無敵です。聞く耳を持ち合わせておりません(笑)。

 まず、子どもの中にも勉強に大しては以下のような気持ちが確かにあるようです。 

・勉強して新しいことを学ぶことは嫌いじゃないらしい 
・分かった(わかった気になっている)ことを2回聞くのは嫌らしい 
・上手くなるための努力は必要だとわかってはいるけどやりたくないみたい 

ふむふむ、、、なるほど。 新しい知識が増えるのは好きだけど、覚える手間は嫌い。 上手にはなりたいけど、努力はしたくない。 つまり、勉強は好きな部分と嫌いな部分が両方ある、 いつも娘の脳の中では、勉強の好きな部分と嫌いな部分を天秤にかけて、 どちらに傾くか次第で、勉強そのものを好き嫌いでわけている素地が見えてきました。 で、考えたのが、 勉強の中にある「楽しさ」と「辛さ」を完全分離することにしました。まず、知識への探求も、上手になる努力もすべてひっくるめて【勉強】と呼ぶことを止め、 

勉強は、新しい知識への純粋な探求、楽しいこと。 
練習は、辛いけど自分の能力を高める努力。 

そう、勉強を、勉強+練習、二つのジャンルにわけます。 勉強は、自分で好きな関心ことを調べたり、新しいやり方を教わったりする行為にし、 練習は、宿題やドリルなど、やりたくはないけどやらなければならない行為とするようにします。 子どもも子どもなりに、練習はいやでもやらなければならないことくらいは自覚しています。 いつもぷんぷん怒らずとも必要最低限のことはちゃんとやってくれます。 まあ、妻にとって必要最低限であることが満足できないかもしれませんけど(笑) 

まず、努力の辛さで勉強そのものが嫌いにならないようにし、 勉強はいつまでも楽しいことであるイメージを残しつつ、 努力は自分の成長させる辛いけどやり甲斐のある行為として自覚させて、 覚悟をさせておいてもらうことにします。 勉強の楽しみを失っていなければ、そのうち、必ずある転機が訪れると思います。 今まで辛いと思っていた努力を、自ら進んでやる時期が訪れる転機のことです。 このきっかけは、何かの目標ができたかも知れませんし、誰かに負けたくなくなったかもしれません。 今まで親からさんざん言われてもやらなかったことが、自分で決心するときがきます。 そのタイミングは各家庭の子どもにとってそれぞれ違うかもしれませんが、 その時期が来る前に勉強が嫌いになってしまっては、その転機は永遠来ないかもしれません。

 練習もせず、勉強だけでは、成績アップはあまり見込めないかもしれませんが、 勉強を続けていれば、早かれ遅かれ、その転機が訪れてくると思います。 少しだけ気長に待つことにします。 そう、むしろこれを見逃していたために、 いくら教育書の方法をあれもこれも試しても、 

 効果が出たり出なかったりで、泣いたり笑った家庭も多かったのではないでしょうか。 


後記: 

書いてたら、算数の教え方とまったく関係ない記事になってしまいました。 時間都合により今日はここまでしか書けず、また別の機会に算数の教え方をまとめてみたいと思います。 

いつもパパの「人類(娘)補完計画」に協力を惜しまない娘に感謝です。 

本人はきづいていないのかも知れませんが(笑)