ワーゲンバスという相棒
この手の古い車には必ずや何らかのドラマチックなストーリーが存在する
この車は北海道の帯広からやってきた
元オーナーさんとは北海道にいたときからのお付き合い
その数年前からこのバスを譲っていただく話はついていたわけだが、僕の方の状況が急変してしまった
当時の僕は今までの人生におけるどん底(未来のことはわからないから今のところの)といえる状況で、とても当初約束したバスの代金を用意することはできなくなった
諦めるしかない状況を伝えるための電話
ところがこのバスの元オーナーは、「お金はいつでもいい」とバスを譲ってくれるという
しかも当初の価格よりも大幅に安い金額で・・・
子供さんが大きくなったら一緒に乗ろうと大切に保管してあったバスだった
電話口で泣いた
それから程無くして積載車に乗せられたバスが長崎にやってきた!
その日から会社の格納庫裏の駐車場で7か月に及ぶレストアを経て(怒られながらも無視して仕事の空き時間と全ての休日を利用してレストアに明け暮れた)、ついにナンバーを取得した時は感無量で陸運局から元オーナーへ電話をかけた
人には言えない、夫婦にしか分からない辛い苦しい時期の唯一の灯りがこのバスだったと言える
あれから8年、当初の予定通りにバスは移動カフェとして九州を走り回っている
その間もいろんなトラブルがあり、いろんな人に迷惑をかけて、いろんな人に助けてもらった
たとえ壊れても、「乗り続けたい」という強い思いと、「何とかして直したい」という熱意があれば、必ず力になってくれる人が現れて良い方向に物事は進んでいく
人生と同じ
「どれだけ本気か」ということ
この車にはいわゆる人間が快適な装備は何一つ付いてない
「パワステ」「パワーウィンドウ」「エアコン」「カーナビ」「キーレスエントリー」
だって1965年(昭和40年)生まれの車だもん(戦後だよね)
だからBLUESが似合います
スプリットウィンドウから見える景色は、この車に乗った人にしかわからないハッピーでヒッピーな風景
旅から帰ってきたら必ず「お疲れ」「ありがとう」って声をかける
心の底から(よく頑張ったね)と声をかけるけど
たぶんバスの方が(お前こそ頑張ったねぇ)と言ってくれてる気がする
きっと僕の方が先にくたばることになる
それくらいタフな相棒
これからもよろしくどうぞ