「筆意」を加うる時はすなわち画なり 「東海道五拾三次之内 京師 三條大橋」 (歌川広重 作 天保四<1833>年頃)
(「美の巨人たち」テレビ東京放映番組<2019.3.30>主な解説より引用)
日本橋からはじまる「東海道五拾三次」の旅は、当時は大人気の旅ルートにもなっていた。江戸・日本橋からはじまり、終着地点であり最終絵となったのが、今回取り上げられた京都の三條大橋。距離にして、約126里、おおよそ490キロにも及ぶ長旅である。55枚もの名所絵が描かれた浮世絵は、たちまち一大ブームとなり、広重はこれを機に、一躍浮世絵の大人気絵師へと出世した。
現代画家の山口晃さんは、「このシリーズにみられる名所絵には、風景だけでなく、観た人が引き込まれていくような巧妙なしくみがある」と語る。
絵の向こう側の人のことを考える絵師。
そして、観る人々をいやが上にも旅情に誘い、そこへ行った気分に浸らせる広重マジックには、大きく3つの要素が盛り込まれている。
➀ 「空」表現の卓越性
霧、雪景色、雨といった気候は、その地にはありえないはずの場所にまで、演出を施して、観る者の旅情をそそる。「ただ、花があって美しい」というだけでなく、「空気の色や風の匂い」を感じさせるような表現にまで、大和絵的に巧みに仕上げている。
自分がそこに行ってもいないのに、行った心持ちにさせる。自分の分身をどれだけ絵の中で、遊ばせられるかという「粋な遊び」にも、さらりと腐心している。
② 「視点」
山口晃さんは語る。「登場人物のキャラが立ち過ぎず、たたなさ過ぎず・・という絶妙なタッチの人物表現」。人物の役回りを設定することに、非常に長けている。
③ 「構図と誇張の妙」
デフォルメを多用しつつ、視線を「斜め」に誘導する、全体的な構図の巧みさ。三條大橋ひとつを観ても、はんなりと橋を歩く、行きかう人々の息遣いまでが伝わってくるような、臨場感に満ち溢れている。
ただ、本日の絵「京師 三條大橋」は、よく観ると「ありえない絵と構図」が存在しているという。この橋は、天正18年豊臣秀吉の命により架橋されたが、「最古の石造りの橋」で造られていた。
ところが、広重が描いたのは、「木の橋げた」。何故なのか。
広重いわく、「写真をなしてこれに筆意を加わうる時はすなわち画なり」と書き遺している。現実には観て描いてはいない橋であるが、感情や想いこそが、真実(リアルな現実)に優るとしたという。
(番組を視聴しての私の感想綴り)
「旅におけるほのかな旅情を感じさせる絵」として、真っ先に頭の中に浮かぶのは、この広重の「東海道五拾三次」だろうか。
というのも、記憶をたどるに、私が小学校時代、当時は「切手収集」がクラスメイトの間で流行っていた。当時発行されていた日本切手の中に、高価な切手とされている「見返り美人」や「月に雁」を、ワンシート持っていた友人もいたと記憶する。「東海道五拾三次」の切手も、なぜか今でも鮮明に覚えている。その中でも特に、雪の深々と降り積もる中を、旅人が歩いていく風景の「蒲原 夜の雪」などは、子どもながらにも、その場所や意味もわからないまでも、抒情をそそる風景に引き込まれ、食い入るようにじっと見つめていた時間の記憶がたしかにある・・・
本シリーズの最初の絵「日本橋」も、本番組の中で以前に取り上げられ、感想綴りとしても記した。これから朝を迎える早朝の日本橋を、参勤交代の大名行列が、江戸を出発する模様を描いたものであったか。特に、ここでも「構図」にこだわった広重がいた。
というのも、橋は、一般的には横から俯瞰して、あるいは遠近法により、横から捉えて描くことがほとんどであったところ、広重は、橋の正面からあたかも望遠カメラで覗くように、描いたのが印象的であった。
今回の「京師 三條大橋」は、最後の一枚として対照的であり、やはり橋で終わるのである。番組の解説を聞いているうちに、昨年の秋(2018.11)京都の紅葉を観に行った際に、この三條大橋のたもとで、しばし佇んだ記憶がよみがえった。
「筆意」の意を知ったのは、この番組を視聴してはじめてのことであるものの、実際にごく最近に橋の実物を眺めた私としても、「微妙な差異」に気づいたのである。
それは、東山、清水寺と八坂の塔(五重ノ塔)などが、橋の向こう側に描かれていて、その位置関係からすると、右から左へ向かうのが、京都の街中へ向かう方向と鵜呑みにして判断した。しかし、番組の解説では、左から右へ向かうのが、京都の街中へ向かう方向に描かれていると・・・
どうでもいいような話にも聞こえるが、言われてみて、ふと「変だな」と気づかされてしまったのが、本当のところである。まったく気にしないし、気づきもしなかったことであった。当然ではあるが、当時は今日のように新幹線で、瞬く間に到着するような交通事情でもない中、実際にリアルをすべて観て描くのは、並大抵の努力ではなかったであろう。
それを鑑みると、「実際との差異」が問題ではなく、絵師・広重の類い稀なる「想像力」の力というか、「創造力」の力に対する敬意である。
「写実主義」とは一線を画す、広重流の「写実力」があるとすれば、まさにこの作品「東海道五拾三次之内 京師 三條大橋」こそ、広重の「真骨頂の画」とも映るのである・・・
写真:「美の巨人たち」テレビ東京放映番組<2019.3.30>より転載。
上: 「東海道五拾三次之内 京師 三條大橋」
下: 「東海道五拾三次之内 日本橋」
同視聴者センターより許諾済。
PS:(以下は余談・雑談です)
今回をもって、「美の巨人たち」が終了し、次回4月からは「新・美の
巨人たち」として、装いを一新しての放映がスタートするとのことであった。
当初は、このブログではなく、自費出版として小冊子(A5版)を4冊発行(非売品)してきた時期もあった。そして、つい最近であるが、発行元の印刷会社よりメールが届いた。
アマゾンとの販売提携により、電子出版にも対応できるとの連絡であった。
過去の印刷物も、電子書籍に移し替えることもできますと。
この4月より、私は「学芸員資格コース」の通信教育での受講(一定期間の美術館実習はあり)をスタートさせた。受講にあたって、教科書にあたるものを、電子テキストにするか、紙書籍にするか選択を迫られた。
少し悩んだ末に、選んだのは電子テキストであった。
電子的に永年保存も可能と、印刷会社は言うものの、紙で育った世代故、まったく不安がないとはいえない。あと5~10年も経てば、こうした不安感は捨象され、セピア色の昔語りとして封印されていくことを想うと、一抹の寂しさも・・・
美術館のあり方をはじめ、情報メディアの嵐が吹きつつあり、美術館施設・建物や美術作品の形態も、急速に変貌を遂げていくのであろう。これでも、時代の勢いになんとかついていけているのか、いないのか。
悩んでもいたしかたないので、翻弄されない自分を堅持しつつ、ポジティブに、前に進むだけであると割り切った・・・