三人の数学者
今回は、三人の数学者(ひとりは工学博士ですが)のことばをご紹介いたします。未来を生きる子供たちに、いま何が必要なのかをぜひ一緒に考えられたらと思います。
まず一人目は、数学者の藤原正彦氏です。氏はかつて、アメリカの大学で教鞭をとっていた経験から「学校教育に何が必要か?」と尋ねられて
「国語教育が、日本再生の急所」「国語はすべての知的活動の基礎である。」とした上で、「一に国語、二に国語、三、四がなくて、五に算数。あとは十以下」と、数学者の立場から国語教育の充実を強く推奨しました。[著書『祖国とは国語』(2003年4月発刊)]
二人目は、工学博士の吉田武氏のことばです。氏は、「数学を学ぶには国語力が重要だ」と強調。「数学と国語の能力が相関する」とした上で「覚えることではなく、意味をきちっと理解(中略)確認しながら進むこと」の重要性を述べています。[著書『はじめまして数学』(2014年12月発刊)]
そして三人目は、『AI vs 教科書が読めない子どもたち』の著者である数学者の新井紀子女史のことばです。女史は、藤原正彦氏のことばを受けて
「一に読解、二に読解、三、四は遊びで、五に算数」と著書の中で強調しています。
その根拠として新井紀子女史は、全国2万5千人を対象に実施した「読解力調査」の結果を以下のように著書の中でまとめています。すべてをご紹介できませんが、注視すべきは以下の3点です。
① 中学校を卒業する段階で、約3割が表層的な読解もできない。
② 学力中位の高校でも、半数以上が内容理解を要する読解はできない。
そして
③ 読解能力値と進学できる高校の偏差値との相関は極めて高い
というモノです。
「読解力」とは、「国語」つまり「日本語の読解力」のことです。
一人目の藤原正彦氏は、著書『祖国とは国語』のなかで「論理思考」についても言及しています。「当時、欧米人が『不可解な日本人』という言葉をよく口にした。不可解なのは日本人の思想でも宗教でも文学でもなく、実は論理面の未熟さなのであった。」と。
藤原正彦氏の指す「当時」と2019年の「いま」と、どれほど変わったのでしょうか?
いまの大人が小学校に入学したのは、いまから約25年ほど前です。その頃といまと、日本における教育の基本的な本質(詰込教育)は特筆して何も変わっていないと主張するのは、私ではなく教育に携わる多くの先生方なのです…。
2020年から大学入試センター試験が「記述式」へと大きく変わります。受験生は「付け焼刃」の対策のみで「国語(日本語)の読解力」と「論理思考」を各教科で試されるのです。受験生のみならず大学側も、最初は試行錯誤を繰り返しながら混乱を招くと思われます。しかし、その混乱を表には出さず粛々と世界基準の教育へと舵を切らざるを得ない状況を文部科学省自らが痛感しているのです。
親であり、大人である私たちに出来ることを一緒に考えませんか、みらいを生きる子供たちのために。
次回は、NASAジェット推進研究所の小野 雅裕氏の東洋経済に掲載された記事をご紹介したいと思います。
みらい学習教室(東大和中央)代表 杉本和功