アジアの被災地 2019.04.22 04:33 立教大の高藤先生と言う方がインドネシア育ちで、インドネシア語のネイティブスピーカーです。インドネシアで人気のクレヨンしんちゃんを使って防災教育をしているところです。 高藤先生はカミシバイという言葉をアチェで広めました。私たちもチームに入れていただきました。SMONGは「津波」。Nama saya Smong=僕の名前はツナミ。 現地では津波の日に皆の厚意で生まれた子どもにツナミと名付けて無事に生まれたことを感謝したそうです。 ↑ 日本の津波について語る社大の女子↓ 田村先生のパネルシアター「ぼくはセシウムくん」 パネルシアターは参加型の紙芝居。リクエストに応えて絵カードを張り付けながら話が進みます。このあと子どもの絵カードは机の下に避難します。 洪水に見舞われ、特別支援学校には近づけず……特別支援学校の先生の家に避難。 社大の特別支援教職の学生も朗読。津波被害で義足になった女の子―高藤先生―社大の被災学生―現地特別支援学校の先生義足の女の子はドキュメント映画の主役にもなったそうです。今障害者のために働いています。 生徒(ろう者)たちにアイラブユーの手話を覚えてもらいました。女性は髪を出してはいけないとのことで、私もヒジャーブを被りました。 高校生がスモン(津波)のお話をオペレッタに。日本語学校の生徒が日本語とインドネシア語でナレーション。着物にイスラム教のヒジャーブを被った姿は少し不思議な感じです。 素晴らしい歌唱力の男子が「写真撮って」と声をかけてくれました。こちらは公立小学校 家の上に乗り上げた舟。↓ 乗っていた人が助かったのでノアの箱舟と呼ばれています。 ↑ 壊れたままの病院跡