4月17日 江田船山古墳を散策するの巻 〜和水町 →上天草市(75km)
昨晩から泊まっている和水(なごみ)町の道の駅「きくすい」の駐車場の周囲には、「日本マラソンの父・金栗四三ゆかりの地」の真っ赤なノボリが立ち並んでいる。
そう、ここ和水町は、現在放映中の大河ドラマの主人公・金栗四三の生誕地なのだ。
駐車場脇の土手の斜面には、かすかに「いだてん」の文字が刻まれていたりする。
道の駅すぐ隣は高台になっており、これが有名な「江田船山古墳」である。
この道の駅は、おそらくこの古墳に合わせてここに造ったのだろう。
古墳を散策したあとは、併設される温泉で汗を流し、買い物は物産館のほか、国道を挟んだ向かいにコンビニもあるという、旅行者には有難い道の駅なのである。
今日は、これから、この古墳周辺を散策することに。
駐車場のすぐ裏手の草に覆われた土手に、ポツポツとステップが刻まれているので登っていく。
続いてKも登る。
上から見下ろすと、結構な勾配だということがよくわかる。
10分ほど歩くと、古墳のらしきシルエットが見えてきた。
その上に巨木が数本立っているので、古墳の形状はハッキリしない。
碑文を確認すると、確かに「船山古墳」の文字が。
この古墳が一躍有名になったのは、日本最古の本格的記録文書である75文字の銀象嵌銘をもつ大刀が出土したためだ。
92件の出土品は、そのすべてが国宝である。
古墳の規模は、墳丘62m、後円部直径41m、後円部高さ10m、前方部幅40m、前方部高さ7.5mの前方後円墳。
左右の括れ部付近に造り出しあり。
右造り出しの突端部の長さ8m、幅5m。左造り出しの突端部の長さ8m、幅3m。
墳丘の周囲には幅7.5~13mの周溝が巡り、周溝を含めた全長は約77m。
これは、清原古墳群に現存する古墳の中でも最大級となる。
築造年代は、出土遺物から類推すると、5世紀後半あたりだという。
墳丘の中央にある石室は、扉を開けて中を自由に見ることができる。
一旦扉を閉めると開かなくなりそうで、ちょっと怖い。
上の図の見学路の位置から考えると、こちら側が前方ということか。
傍らには、もう一つ円形の古墳があった。
古墳のすぐ近くには「民俗村」があり、中学生の団体が野外学習に来ていた。
我々は、蒼蒼とした木々の間を縫って、しばし散歩。
すると林中から、突然、縄文人が現れる。
吊り橋を渡って、道の駅方向へと戻る。
道を塞ぐように立つ、縄文ガール。
道の駅の裏手の川辺では、家族づれがテントを張り、水遊びを楽しんでいた。
土手に沿って進むと、道の駅と温泉施設の立派な建物が見える。
道の駅の建物の前方には、第一駐車場がある。
この道を挟んだ向かい側が、我々が車を停めた第二駐車場になる。
ゆっくり周って2時間弱。
さらに民俗村へと足を延ばせば、3時間ほどになるだろう。
川ではカヌーに乗ったり、水遊びも出来るし、キャンプ場もある。
水と緑に囲まれて、一日、ゆっくりと遊べる古墳巡りは、これからのトレンドになるに違いない。