4月19日 「潜伏キリシタンの里」〜崎津、今富、大江集落を散策する
道の駅「崎津」は、「潜伏キリシタンの里」として知られる崎津集落にある。
新しい道の駅でまだあまり知られていないこともあり、とても静か。駐車場も広く、居心地がいい。
⭐️おすすめの道の駅認定⭐️ 道の駅「崎津」
さて、この集落は「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」として、昨年2018年6月に世界文化遺産に登録されている。
長崎世界遺産課のホームページでは、「潜伏キリシタン」について、以下のように説明している。
キリスト教禁教期の17~19世紀の日本において、社会的には普通に生活しながら密かにキリスト教由来の信仰を続けようとしたキリシタンのことを学術的に「潜伏キリシタン」と呼んでいる。
そして、彼らの「信仰を実践するために独自の対象を拝むという試み」と、「共同体を維持するために移住先を選ぶという試み」を併せて「潜伏キリシタンの伝統」と呼ぶ。
なお、禁教期よりも前にキリスト教に改宗した人々のことを、同時代の日本ではポルトガル語由来の「キリシタン」と呼んだ。
また、キリスト教が解禁となった19世紀後半以降も引き続き「潜伏キリシタン」以来の信仰を続けた人々のことを「かくれキリシタン」と呼ぶが、その信仰のあり方は解禁以降に次第に変容したとされ、変容が進んだ段階の人々を「カクレキリシタン」と表記する場合(研究)もある。
道の駅で簡単な解説ビデオを見て基礎知識を蓄えてから、レンタサイクルを借りて、崎津集落中心部へと向かう。
最初に訪れたのは、集落のシンボル「崎津教会」。
畳敷きのある珍しい造りの教会。
この教会を建設した神父の強い要望により、かつて絵踏みが行われた庄屋宅の土地に建てられており、祭壇は、まさに絵踏みが行われた場所に作られたという。
次に、教会近くにある「崎津資料館みなと屋」を見学。
ここでは、崎津の歴史について紹介している。
羊角湾に面したこの穏やかな漁村は、海産物や近隣の農産物、木材や木炭の集積地として昭和初期に最も栄え、物資は長崎や五島列島、福岡方面に向けて運ばれていったという。
また、徳川幕府によるキリシタン禁教令ののち、この地の潜伏キリシタンが信仰の対象としたアワビの貝殻やメダイ(メダルのこと)、銅銭なども展示している。
中国から伝わった母子像をマリア像の代わりに、クロス(十字)のように繋ぎ合わせた銅銭を十字架の代わりに、そのほか「模様がマリア像に見える」らしいアワビの貝殻や、西洋人の横顔が刻まれたメダイなど、とにかく想像力を駆使して身の回りにあるものを信仰の対象にしていたという。
ここでは、他にもアニメーションで潜伏キリシタンの歴史を振り返るコーナーもあり、街を散策する前に立ち寄ると良いだろう。
資料館を出ると、周辺にはお店屋さんが軒を連ねている。
ここは、天然の貝殻を売っているお店。
ドロップのような色彩に見とれ、思わず一袋購入してしまう。
次に立ち寄ったのは、南風屋さん。
通りすがりで気になっていた「杉ようかん」を購入する。
薄っすらと杉の葉の香りが漂う、上品なお味。
「ようかん」というよりは、餡の入った細長いお餅といった感じか。
どこかおめでたい㊗️雰囲気。
そこに、こんなドラマが隠されていたとは……。
集落でプチ街ブラを楽しんだ後は、自転車を漕いで崎津漁港へ。
遠くの岸壁に立つマリア像を眺める。
漁港なら、新鮮な刺身が食べられるに違いないと思ったが、ここはまだ昨年世界遺産に選ばれたばかりのせいか、まったく観光地化しておらず、レストランの一つも存在しない。
ある意味、良い時期に来たということか。
「きんつ市場」で、漁師さん向けと思われるガテン系の弁当とお茶を買い、デッキで昼食をとる。
目の前の漁協の市場上空には、大きな鳥が獲物を狙って旋回していた。
ランチを終えた一行は、再び集落の中心部へ。
海側にある教会から、山側に向かって真っ直ぐに伸びた道路の正面には崎津諏訪神社がある。
ここは、潜伏キリシタンの取り調べが行われたところである。
1805年、「天草崩れ」と呼ばれる事件があった。
これは、天草地方で多くの隠れキリシタンが一斉に検挙されたものであり、そのきっかけは、地元の農民がクリスマスが近づいたときに、普通では食べるはずのない牛を殺し、仏像以外の物品を拝んでいたことから発覚した。
検挙された人数は、崎津・大江・今富・高浜の各集落で、合計5205名にのぼり、特にここ崎津では、全住民2401名のうち、1709名(71%)が隠れキリシタンとして検挙されたのである。
幕府側は、翌年になって、彼らは「切支丹」ではなく、「宗門心得違い」であると認定し、被疑者に対して、改めて絵踏みをさせた上で「異宗」回心の誓約に押印させることで赦免。
その後、絵踏みは毎年行われるようになり、彼らはキリストや聖母マリアの像を踏まされていたが、自宅に帰ると信仰の教義書「こんちりさんのりやく」を唱え、神の許しを得ていたという。
鳥居の中に、すっぽりと教会が収まってしまう構図。
鳥居の柱は途中で継ぎ足してある。
何か違和感を感じていたら、背面から見るとクロスが浮かんで見えた。
神社の境内から、さらに奥に続く階段(約500段ある)を登っていく。
すると、急に展望がひらけ、目の前に「チャペルの鐘展望公園」が現れた。
羊角湾は、波一つなく、ひっそりとしている。
山上から集落を眺めた後は、道の駅に戻って自転車を返却。
今度は、海側から陸地の奥側隣にある今富集落へと車を走らす。
ここは、「潜伏キリシタン」がキリスト教解禁後も「かくれキリシタン」となって信仰を続けていた集落。
現在、この集落では「かくれキリシタン」の存在は確認されていない。
一行は、さらに車を走らせ、山を越えたところにある大江集落へと向かう。
ここには、「大江天主堂」がある。
フランス人・ガルニエ神父が私財を投じ、信徒達の寄付を募って1932年に建設された教会であり、天草のキリスト教信仰の拠り所のひとつになっているという。
我々が訪れた時は、ちょうど何かの行事が行われたいた。
堂々と中に入って行くカップルの姿を横目に見ながら、クリスチャンでも学者でもないKYには扉を開ける勇気がなく、静かに立ち去る。
丘の上の教会下には、「天草ロザリオ館」がある。
天草での潜伏キリシタンの生活・信仰の様子や文化に関する展示であり、マリア観音や聖水壺、県指定重要文化財の「経消しの壺」などがあるほか、密かな礼拝のために作られた「隠し部屋」の実物大のジオラマが置かれているのが特徴だ。
残念ながら、ここも撮影不可。
「かくれキリシタン」の信仰については、後日、別な資料館見学の際に迫ってみたいと思う。
夕闇が迫る頃、一行は崎津集落に戻り、今夜もまた、道の駅「崎津」に宿泊する。