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つねに多くのことを学びつつ年をとる―勝又泰洋の学問日記―

日本教育史におけるプルータルコス『英雄伝』

2019.04.22 12:15

鷲田小彌太『はじめての哲学史講義』(詳細については下のリンクを参照)を読んでいて、モンテーニュの解説の末尾に、「『プルターク英雄伝』」という題名のコラムが付されているのを偶然見つけた。見開き一ページのごく短いものだが、僕が現在進めている研究と深くかかわることが記されていたので、簡単にメモしておきたい。

 文章の趣旨は、日本におけるプルータルコスの『英雄伝』の教育的役割―伝記のかたちをとって歴史上の範例を提供するという役割―に注目してみる、というものだ。出だしの部分から少し長めに引用したい。

太平洋戦争敗戦後、日本の教育の題材から消えて久しいものの一つに、「英雄」物語があります。各時代、各分野の英雄を選りすぐり、その生き方、考え方から学ぶということを、偶像崇拝、エリート教育などとみなし、積極的に否定してきました。世界中で翻訳され、翻案されてきたプル[ー]タルコスの英雄伝説もその一つです。

プル[ー]タルコスの『対比列伝』は『英雄伝』で知られています。大部の書物で、河野與一訳『プルターク英雄伝』(全十二巻 岩波文庫)が訳出されたのは、一九五二年からのことです。しかし、これは厚いだけでなく、「原文」に忠実なあまり、通読するのさえ困難な日本語なのですね。ましてや、英雄伝をいちばん必要とする少年たちにはてんで歯が立たない代物なのです。[中略]

しかし、戦前は大いに違いました。英雄伝が、人物評論が、大人といわず子どもといわず、好んで読まれました。立川文庫の英雄豪傑たちに混じって、プル[ー]タルコスの『英雄伝』も少年たちに読まれました。大人も読んだのではないでしょうか。それが澤田謙訳『少年プリューターク英雄伝』(大日本雄弁会講談社 一九三〇)で、わたしの手元にあるのはその改訂版『プルターク英雄伝』(一九三六)の第一〇版(一九三七)です。この本は、訳者もいうように、プルターク英雄伝の「精髄」を読みとれるように翻案したもので、原著にもないプラトン伝やハンニバル伝も登場します。もちろんシセロ(キケロ)も「賢人」として名を連ねています。残念ながら澤田訳の英雄伝は戦後に再刊されていません。[後略]

(鷲田『はじめての哲学史講義』114~115頁)

注目すべきは、プルータルコスの『英雄伝』が、日本教育史の文脈における「偶像崇拝、エリート教育」と関連づけられているということである。強力なリーダーシップを発揮する政治家ないし軍人を主人公とする『英雄伝』は、(少なくとも太平洋戦争終了直後は)かつての日本の軍国主義を擁護する作品とみなされたようなのだ。

 『英雄伝』にこのようなイメージを付与したものの一つと考えられるのが、上の引用中で、戦前に人気を博したものとして言及されている、澤田謙の『少年プリューターク英雄伝』である。これは、プルータルコスの原作にもとづく、十人の英雄の伝記集(鷲田のいうような、澤田の編集作業を経た「翻案」である)なのだが、その巻頭に置かれた「序」は、歴史的にみて非常に面白い。澤田は、自身の「英雄伝」の作成に込めた意図について語っているのだが、そこでは、「大衆社会」となった当時の日本における「英雄」の重要性が熱烈な仕方で主張されているのである。「大衆社会」を生きる人々は「英雄」を待望するゆえ、本伝記集も大きな意味をもつ、という議論だが、ここにファシズム的色彩をみてとることは容易だろう。

 僕は、ちょうど数日後、この澤田書について研究発表をする予定で、そこでも本書の政治性には触れるつもりだ。準備を進めるなか、たまたま手に取った鷲田氏の本のなかで関連の記述に出会えたのは、とても運が良かった。