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モータースLIVE

ジャギステージ

2019.05.01 15:00

「先生ちゃうぞ、先輩やぞ!」

その場の空気が変わった。

ここは普通の学校ではない、目の前の教壇に立っているのは先生ではなく、先輩。

山崎さんのその言葉は、養成所に入って間もない学生気分の私達に、目指しているものが何たるかを自覚させた。

言うまでもなく山崎さんとは、モータースライブ主宰・ヤマザキモータースさんの事である。


2008年4月。

大学を卒業後、就職もせず某お笑い養成所にストレートで進学した私は、

週に一度のネタ見せの授業で山崎さんと出会った。

最初の授業で行われた自己紹介で、クラスメイトが各々の経歴や趣味をただ言い連ねる中、

回ってきたその順番を92年のヤクルトスワローズ打線に準えて話した私の存在は、早く山崎さんに認識された。

私が山崎さんと同じ六大学出身だった事もあってか、最初のうちは私を大学名で呼んでいた山崎さんだったが、

程なくして名字で呼んでもらえるようになり、それは私が芸名を持った今も変わっていない。


毎週の授業を通じて、山崎さんは特に「フリとオチ」の重要性を説いてくれた。

正しいフリがあってこそオチとしてのボケが生きる、基準点は明確に設定しなければならない、と。

今の私には当たり前となったそんな笑いの基本も、思考の礎を築いてくれたのは山崎さんだった。

そういった技術的な部分もさる事ながら、

山崎さんはそれ以前のもっと根本的な、芸人としての取り組み方や意識の在り方を私達に教示し続けてくれた。

冒頭の言葉にも象徴されるように、それはいつだって端的で正論。

それでいて、誰よりも思いやりがあった。

言葉の数々に心を突き動かされた私は、山崎さんに甚く傾倒していった。

山崎さんの授業は前期だけの実質3か月余り。

その強烈な1クールのドラマが終わる頃、

一人のヤマザキモータースチルドレンがそこにいた。


しかし山崎さんとはその後、トークライブの手伝いやM-1の予選会場で会ったくらいで、暫くは疎遠になった。

山崎さんから刺激を受けたあの日々はいつしか思い出となり、

気持ちの灯が徐々に消えかかる中、その流れに抗うようにコンビを組んだ。

そして山崎さんに、その事を電話で報告した。

何年も連絡を取っていなかった山崎さんへの報告を思い立ったのは、

今思えば義理とか筋とかではなく、再び山崎さんに心を突き動かしてほしかったからかもしれない。

電話越しに私のコンビ結成を聞いた山崎さんは、自身主宰のライブに出演のオファーを出してくれた。

それこそが、モータースライブだった。

モータースライブによって、また定期的に山崎さんと顔を合わせる日々が始まった。

それは私にとって、養成所時代に観たドラマの続きだった。

結局コンビは解散し、私はピン芸人に逆戻りしたが、気持ちの灯が消える事はない。

だって今の私には、モータースライブがあるのだから。


ところで昨夏。

コンビ解散を知った山崎さんは、私を呑みに誘ってくれた。

その席で私が「先生ちゃうぞ、先輩やぞ!」の話を持ち出したところ、

山崎さんはニコニコしながらこう言った。

「いや先生で全然いい。先生って言われるの気持ちいいし。」

それは“先生”による、長い年月をかけたフリとオチだった。


ジャギステージ…1984年4月11日生まれ。

神奈川県横浜市出身。

神奈川県立川和高等学校、立教大学経済学部卒業。

2009年3月にワタナベコメディスクールを卒業後、フリーの期間を経て2017年よりトップ・カラー所属。

好きな物はリラックマ・五十三家のラーメン・シルバーのスニーカー。

モータースライブでは、自称「Dライブの番人」。