12月21日(金)『二カ月ぶりのBS句会』
今日はBS句会があるので、帰宅後は俳句を作り続ける。7時から、東武ホテルの豆ちゃで、BS句会開催。5句出しで、2句並選、3句は選ばれず。
提出句は、冬の海恋しと光る螺鈿かな、聖菓揺れきよしこの夜銀帽子、寒風や空母を空母と言えぬ国、風呂吹の眼に箸を立て分ける癖、堕天使や耶蘇を振り切り初詣。
冬の海恋しと光る螺鈿かな
螺鈿細工は貝殻の内側の虹色の光沢を持った真珠層の部分を切り取って、漆地や木地の彫刻された表面にはめ込む手法である。広く美術工芸品に使われるし、茶道をやっている私からすると、棗や菓子器にも使われているので、極めてお馴染みだ。冷たく、鈍く光る螺鈿の輝きを愛でていると、冬の海の中に戻りたいと願っているように思える。
聖菓揺れきよしこの夜銀帽子
昭和の時代、それも戦後昭和30年代、クリスマスの時期になると、金や銀が貼られた三角錐の紙製の帽子を被ったお父さん達が、ほろ酔い気分で家路を急ぐ姿をよく見た。手には、決まってクリスマスケーキを下げていた。子供達は、お父さん早く帰らないかなと、買って帰ってくれるクリスマスケーキを心待ちにしていたものだ。父親が年に一度買ってきてくれるクリスマスケーキは、楽しみだったし、事前に用意してくれていただろうクリスマスプレゼントにも期待していたのだ。
昭和三十年代のクリスマスケーキは、生クリームを使ったものではなく、周りをバタークリームで固め、表には、砂糖菓子のクリスマスの飾りが施されていて、何本かのローソクも添えられていたように記憶している。中側のスポンジケーキも、滑らかではなく、どことなくぱさぱさしていた。
現代では、クリスマスケーキは、ケーキ屋さんに予約して、24日に取りに行くようになっている。人気店のクリスマスケーキは、高価であるし、相当前に予約が締め切られてしまう。今の時代は、クリスマスケーキをただ買ってくればいいのではなく、美味しいクリスマスケーキでないと、子供は許してくれない。お父さんには、厳しい世の中になったものだ。
寒風や空母を空母と言えぬ国
日本は戦前10隻の空母を保有していた。飛行機を載せた空母がいかに戦争で、効果があるのかを証明したのは、日本だった。アメリカと総力戦を戦い敗れた日本、戦後日本は、防衛以外の戦力を保持するのを、禁じてきた。アメリカが世界の中で超越した存在で、日本を完璧に防衛してくれることを期待できる時代は、日本の防衛は、アメリカにゆだね、そのうち日本も戦力を次第に整えて、アメリカ軍と協力して国土を守る時代が長く続いた。アメリカの覇権に、中国が挑戦している今の時代、アメリカに日本の存立を完全に委ねるのは、危なくなってきた。日本もそれなりの、戦力を保持しないと、危ない時代に入って来たと思う。中国が、南シナ海に進出している時代、北朝鮮の動きも心配だ。友好国だったはずの韓国は、日本の飛行機にレーザー照射をしてくる始末。もしかしたら敵国になるかもしれない。こんな先の見えない、不透明な時代。先々の世の変化を見越して、日本が空母を持つのは、もう当たり前となった。できれば、戦前の様に空母をたくさん持ち、四方の海を安定させてほしいものだ。
それにしても政府は、空母に改修すると言うのに、あえて空母と呼ばず、違う名前で言いくるめようとしているのは、情けない。堂々と空母を作ると言えばいいではないか。
風呂吹の眼に箸を立て分ける癖
風呂吹き大根を、ふうふうと息を吹きかけながら食べるのは冬の楽しみだ。私は、外側から割って食べるのではなく、大根の中心の眼の処に箸を突き立て、左右に振り分け少し切れたら、今度は四つに斬るように箸を進め、四分割してから食べるのが習慣になっている。食べ方なんてどうでもいい様だが、人夫々に食べ方の癖がでてくるものだ。
堕天使や耶蘇を振り切り初詣
渋谷のスクランブル交差点では、すでに拡声器を使ったキリスト教の宣伝が始まっている。キリスト教を信じないと地獄に落ちるとか、聞いていると、なかなかセンセーショナルだ。正月に入り明治神宮の初詣が始まると、何台ものスピーカーから、キリスト教を勧めるナレーションが、声高に流れる。まったくもって余計なお世話だ。行いに慎みがない。クリスマスの礼拝を行う教会の前で、「仏様を信じなさい、南無阿弥陀仏と唱えなさい。キリスト教を信じると無間地獄に落ちるぞ」、などと拡声器で流したら、どんな反応が返ってくるだろう。日本人は、こんな不作法はしない。キリスト教の勧誘をスピーカーで流すと言うのは、日本の宗教風習に対して、余計なお世話なのである。
移民が増え、異文化が日本に流入したら、文化摩擦も急激に増えよう、一体この国はどうなるのだろうか、とても不安だ。