2月1日(金)『来週の首都圏中継で、埼玉県の高槻まで行く』
早朝、伊勢さんのパーソナルで、背中を鍛えた。一旦帰宅して、2時に局に出て、青木さん、宮田さんと共に、埼玉県の高槻に、雛人形の取材に行く。金髪の雛人形があったり、付け睫毛のひな人形もあり、驚く。人形の顔も、細長いおっとりとした顔立ちではなく、丸顔の、人気タレントの安室なみえの顔に似た人形もあり、時代だなと思った。一つの顔も、分業制で、何人もの職人の手を経て、出来てくる事に、驚いた。
夜,BS句会に出席,いつものニュージープラットフォームで開催、16人が出席した。先生は、岸本尚毅さんだった。5句出して、4句選ばれたので、嬉しかった。
『2月BS句会』
岸本尚毅さんを撰者にBS句会に出席した。5句だし、4句入選したので、嬉しかった。席題は、身に着ける物。先生が出した題は、梅だった。
提出句は、梅を待つ枝に羽毛を花と見し、手袋や生の名残の温かさ、平成の長き睫毛の雌雛かな、父と子の愛人似たり独楽回る、鬼すでに魂にあり節分会の五句。
梅を待つ枝に羽毛を花と見し
厳寒の時期を迎えている。とはいえ、東京では、日中は10度前後まで上がるので、北国の様な、とても厳しい寒さは経験しない。でも、心のどこかでは、早く春にならないかと、心待ちにしているのである。早春に咲く一番手の花は、やはり梅だろう。その心待ちの梅が、咲いていると錯覚した事を思い出して作った句だ。羽毛が枝にかかり、遠くから見ると、花が咲いたように見えるたのだ。花を待つ心待ちのゆえこその錯覚なのだろう。
手袋や生の名残の温かさ
革の手袋は手を通す瞬間に冷たさを感じるが、すぐに体温になじんで、じわっと暖かくなる。毛の手袋に比べて、体温を維持して、暖かさをキープしているように思うのだ。牛革、羊皮、ムートン様々な革製の手袋を持っているが、手に暖かさを与えてくれる皮の手袋は、かつては生きていた動物の皮である事を思う。かつてバイク事故で、転倒し、手にはめていたバイク用の皮の手袋が破れて、ボロボロになったが、手袋の中の自分の手には、傷もなかったし、血も流れなかった。手袋の皮はボロボロになったが、自分の手の代わりに、傷ついてくれた事を思い出した。革の手袋は、生きていてくれたのだと思った。革の手袋は、生きていた時の、その動物が持っていた体温も感じるのである。先生は、この句の最後、温かさではなく、温かき、とする方がいいとアドバイスがあった。
平成の長き睫毛の雌雛かな
平成も31年を迎え、今年の春には、天皇が退位し、皇太子が即位される事が決まっている。即位の礼を模した立ち姿の雛人形も販売されていて、結構売れるのだそうだ。お雛様は座って居るものと言う常識は、完全に外れてしまった。時代を感じた。ひな人形も時代により、顔が変わってくる。享保の頃にひな人形の顔は、細面で、目は極めて細い。つんとすましていて、笑顔はない。で今の時代のひな人形は、笑っている顔が多い。安室奈美恵に顔が似たひな人形もあれば、ヒョウ柄、パンダ顔の衣装を着たお雛様もあった。金髪や茶髪の雛人形もあったし、付け睫毛を付けたお雛様も売られていた。5年前から、付け睫毛を付けた雛人形が作られたと言う事だ。雛人形に、付け睫毛、私はぶっ飛んだ。
父と子の愛人似たり独楽回る
父と子は似るものだと言う。趣味や服の好み、ものの考え方、すべて似る事も多いと言われる。父と子で好みが似るのは仕方がない事で、結婚する女性の顔も似る事が多いが、愛人に至っては、好みの根源的な所で選ぶので、よく似てしまうと言われる。
独楽はいったん回すと、止まらない。父から子へ、そして、孫へと永遠に続く、生命の連続を感じるのだ。
鬼すでに魂にあり節分会
節分が明日に迫った。子供の頃、「鬼は外、福は内」と叫びながら、豆をまいた事を思い出す。鬼の存在は、見た事がなかったが、昔話で、桃太郎に出てくる鬼は、絵本でビジュアル的に知ってはいたが、実際に会ってみた事がないので、形而上的な存在だと思っていた。マスコミに勤務して、殺人事件のニュースを読む事が置く、何で人を殺すなんて恐ろしい事をするのだろうと憤っていた。年齢を重ねると、鬼と言うのは、実態が在る訳ではなく、実は自分の心の中にあるのだろうと思うように至った。そう思った時に、魂と言う言葉を見ると、なんとそこには、鬼の文字が入っているではないか、やはり心の中に鬼が住んでいる、魂の中に鬼がいると感覚を、何千年も前から考えている人がいて、「魂」、と言う言葉が出来たのだと思うと、先人は、さすがに鋭いと思ったのである。