<原体験> こうして花屋になりました。
はじめに、少し自分の経歴を紹介します。僕は岐阜県で生まれ、工芸品である美濃焼の陶芸職人の父と、名古屋で生花店を営むフラワーアーティストの母との間に生まれました。幼少より植物に囲まれ育ち、絵を描いたり、ものを作ることはDNA的に好きでした。(父方祖父は画家、母型祖父は宮大工の家系です。)最初から花屋になるつもりがあったわけでは無いですが、いくつかの原体験があり、気持ちが定まって行きました。
◆ きっかけは、僕の花で人が泣いてくれたこと。
きっかけは様々でしたが、一番強い原体験はこれだと思います。一番最初に贈り物の花を束ねた時のことです。自分で作った花を誰かに渡して実際に手応えを感じたかったのです。その日はお世話になった人がイベントで登壇をすることになっており、その講演後の楽屋前で、僕は手に持っていた花束をその人に渡しました。「お疲れ様でした。」すると同時にその方の目から、ぶわっと涙が溢れ出したのです。突然のお花にも、ここまで人の心を動かす力があるのかと大変驚きました。花の活動を始めたばかりの自分でしたが、更にこの世界にのめり込んでしまうには、十分すぎるほど刺激的な体験だったと思います。このようにお花は気持ちが溢れ出す手伝いをしてくれます。そんな仕事を一生したいと、この時強く思いました。こうして僕の花人生の始まりました。
◆ シャンペトルとの出会い
僕は高校を卒業し、イギリスはロンドンとオックスフォードに2年半、その後パリで半年学生として暮らしました。どの街も自然と芸術が都市の中で見事に共存しており、大きな刺激を受ける毎日でした。特にパリでは、とても大きな出会いがありました。市内の花屋や生産者、市場などを回っていたとき、今まで日本で見てきたデザインとは全く違うものを目にしました。野に咲いているような草花を多く使っているが、色が絞られており、とても洗練された印象がありました。それが、今の僕のデザインや表現する世界観の土台となっている、シャンペトルブーケというデザインです。フランス語で畑、田舎を意味するchamp(シャン)の意から、まるで野原の花を摘みながら束ねたような、野趣溢れるブーケです。従来の規則正しく花を配置し、凹凸ないかっちりとした半球体のブーケロンに対して、雑草のような稲穂、枝、ツタなどを積極的に使うことがポイントです。それに一目惚れしてしまい、以来シャンペトルを追い求め続けています。
◆ アーティストは、心に突き刺さったものを信じる。
僕の花屋としての原体験は、細々ありますが、特筆したかったのは以上の2点でした。自分の花に喜んで泣いてくれたこと、今までとは全く異なるデザインと異国で出会いのめり込んだこと。やはり自分の心に突き刺さったものというは、ブレないビジョンを立てる時に、とても大きな力になってくれると思います。最近は花に限らず、アーティスト・クリエイターになりたい、自分のお店を開業したいという方々が周りに多く増えてきて、相談されることがあります。自分の手に職をつけて、社会に価値を提供していくことって本当に素敵なことですよね。そこで必要になってくるのが、技術やノウハウはもちろんですが、ブレない理念やコンセプトだと思います。もしこれからそのようなフリーランスの道に行かれる方々がいらっしゃったら、ぜひ一度自分の中の原体験と向き合ってみるのもおすすめです。