Ride in Setouchi & San-in Day 41 (25/4/19) Former Residences in Hagi 萩偉人旧宅巡り
萩偉人旧宅巡り
- 久保田家住宅
- 高杉家住宅 (高杉晋作誕生地)
- 青木周弼旧宅
- 木戸孝允旧宅
- 口羽家住宅
- 田中別邸
- 湯川屋敷
- 桂太郎旧宅
- 伊藤博文旧宅
今日は小雨で予定していた萩往還は断念して城下町の文化財に指定されている場所を巡ることにした。
参勤交代の通り道の萩往還が走り、その両脇は商人の家が並ぶ。今はカフェや萩焼の店が商売をしている。
久保田家住宅
江戸末期に建てられた造り酒屋の家。城下町では有力商人の一人。従業員40名が働いていた。
萩往還から内側に入ると上級武士の屋敷の一角になりそこに高杉家がある。
高杉家住宅 (高杉晋作誕生地)
高杉家は比較的身分の高い家柄。(150石) 500坪の土地に20もの部屋があった。現在残っているのはその一部。
青木周弼旧宅 (再訪)
蘭学藩医の青木周弼。25石だが藩主の主治医ということで重要な役割ゆえここに住居を構えていた。
木戸孝允旧宅
木戸孝允は元々は典医の和田家(20石)の生まれ。ここは和田家の屋敷。幼くして150石の桂家に養子に行くが養父がまもなくなくなり、桂家を90石で継いで和田家にもどり20年間、ここで和田家を継いだ姉と暮らした所。
ここに晩年の木戸孝允の肖像画があった。よく見かけるのは若い頃のハンサムな肖像画だが、明治政府で苦労して老けた肖像画も良いと思う。彼の歴史を感じる。
口羽家住宅 (再訪)
毛利家の分家で岩見の口羽に居住していた。毛利の重臣。1018石 4000坪
田中別邸 (再訪)
総理大臣 田中義一の別邸。田中家は駕籠かきの下級武士出身。生家は城下町の菊屋の所。萩の乱に参加。総理大臣時代にここを購入。
湯川屋敷
三角州の端の川島地区にある。下級武士の地域。
藍場川の水を利用した家の作り。十数年前まで利用していたようだ。藍場川は松本川から水を引き入れ人工的に作られた水路で城下町の近くで橋本川に流れ込む。昔は荷物を運搬する小舟が走っていたが、今ではもう見られない。
桂太郎旧宅
非常に小さな家。湯川旧宅のすぐそばで藍場川沿いにある。桂太郎は一度この家を手放したのだが晩年に買い戻し小さな家を建てた部屋は3つしかないが、庭は広く非常に落ち着いた雰囲気。ドロドロした政界での疲れを時々この故郷で癒したのかもしれない。
伊藤博文旧宅
今日訪れた所は全て萩の三角州内だったが、伊藤邸はその外にある。城下から離れるほど身分が低くなる。伊藤家は低い身分ではあったがその程度はわからない。三角州の川島地区は火災に遭い、住民は三角州の外に移った時があったので伊藤家もそうかもしれない。旧家は茅葺屋根なのだが、雨漏りがひどいので今は修復待ちの状態。国の重要文化財なので修理には許可が必要で随分と待たされたと言っていた。
旧家の隣には東京の西大井にあった別邸を移設して公開している。
それぞれの場所にはボランティアガイドがおり、観光客に案内をしてくれる。今日は平日で小雨模様なのか、ほとんど観光客はおらず、付きっ切りで解説をしていただいた。