言語思想史におけるマックス・ミュラー
「現代神話学」の講義のために、ハンス・G・キッペンベルク『宗教史の発見―宗教学と近代』(詳細は下のリンクを参照されたい)の、マックス・ミュラー(Friedrich Max Müller、1823~1900)に焦点を当てた第三章(「諸言語が語るヨーロッパ初期宗教史」)を読んだ。
今回、ミュラーの神話理論―いわゆる「言語疾病説」―を取り上げた部分(63~66頁)もたいへん勉強になったのだが、僕がこれよりはるかに面白いと思ったのが、ミュラーの言語思想にかんするキッペンベルクの解説だ。ミュラーは、たとえば彼の神話研究のマニフェストともいえる論文「比較神話学」(1856年)のなかで、神話における言語の側面(具体的には、神話に登場する神や人間の名前)に異常といえるほどの執着をみせる。もともと彼は印欧比較言語学のスペシャリストだったため、これはある意味当たり前なのかもしれないが、それでも僕は彼の方法論になにか思想史的背景があるのではないかと思っていた。キッペンベルクは、僕のこの疑問にかんして、有益なヒントを提供してくれた。
キッペンベルクによれば、ミュラーの時代(19世紀後半)には、「言語による世界形成の可能性を認識することを目的とした諸言語の比較がなされるようになっていた」(61頁、下線筆者)という。そしてその流れをつくり出したといえるのが、18世紀のヘルダーとフンボルトで、両者は、言語が世界形成の力をもつことを強く主張したのだった。おそらくミュラーは、この2人の言語思想史の偉人から影響を受け、「言語は事物に関する観念を表現しており、事物を単に指示しているのではない」(63頁、下線筆者)という考えに至ったようだ。このとおりだとすれば、インド神話・ギリシア神話を論じるミュラーがあれほど神や人間の名前にこだわったのも納得がいく。「名前(つまり言語)さえ綿密に調べれば、古代インド・古代ギリシアの神話を基礎づける観念体系がわかる」という理屈になるからだ。
もうひとつ、キッペンベルクの議論でたいへん興味深く思ったのが、カントの『純粋理性批判』の英訳を行ったミュラーが、その「カントの著作のなかに単語を経験と関連づける根拠を見出している」(63頁)ということだ。僕はカントの言語思想については知識がゼロなので、きちんと調べる必要があるが、もし『純粋理性批判』のなかに、ミュラーが注目したという、単語と経験の相関性にかんする議論があるのならば、カントも、上記のヘルダー・フンボルト流のロマン主義的言語理論の系譜につながりうる、ということになる。
言語が有する世界形成の力といえば、いわゆる「サピア=ウォーフの仮説」が有名だが、ひょっとするとミュラーは、言語思想史において、18世紀の「ドイツ・ロマン派」(カント?・ヘルダー・フンボルト)と、この20世紀の「アメリカ人類学派」(サピア・ウォーフ)を中継した人物として位置づけられるかもしれない。