キリスト教の教え3 神による人類救済計画③
神が、人間が再び造り主である自分のもとに戻れるようにと考えて立てた人類救済計画とはこうだ。ひとり子イエスをこの世に送り、神の教えを宣べ広めさせるとともに神の子として奇蹟も行わせる。その上で彼に人間の全ての罪を背負わせて、あたかも彼が全ての張本人であるようにして十字架に架けて死なせる(ゴルゴタの丘での磔刑)。そしてイエスの十字架上での死を、人間から罪を取り除くために神がひとり子をも死なせる神の愛の賜物と信じる者をその信仰ゆえに赦し、人間が再び造り主である自分のもとに戻れるようにする。さらに、一度死んだイエスを復活させることで、死を超えた永遠の命が存在することを示し、イエスの復活を信じる者に永遠の命に至る扉を人間のために開く。おおよそこんな計画だ。
この計画の実行はまずイエスの両親をだれにするかから始まる。父親はヨセフ、母親はマリア。なぜ、彼らが選ばれたのか。ユダヤ人はいかなる家系に生まれたかを重要視する。ヨセフはいかなる系図を持っていたか。神に選ばれるような立派な家系だったか。「マタイによる福音書」の冒頭(ということは『新約聖書』の冒頭でもあるが)に、「イエス・キリストの系図」が書かれている。読むのに苦痛を感じてしまいそうだが引用する(「マタイによる福音書1章1~17節)。
「アブラハムはイサクをもうけ、イサクはヤコブを、ヤコブはユダとその兄弟たちを、ユダはタマルによってペレツとゼラを、ペレツはヘツロンを、ヘツロンはアラムを、アラムはアミナダブを、アミナダブはナフションを、ナフションはサルモンを、サルモンはラハブによってボアズを、ボアズはルツによってオベドを、オベドはエッサイを、エッサイはダビデ王をもうけた。ダビデはウリヤの妻によってソロモンをもうけ、ソロモンはレハブアムを、レハブアムはアビヤを、アビヤはアサを、アサはヨシャファトを、ヨシャファトはヨラムを、ヨラムはウジヤを、ウジヤはヨタムを、ヨタムはアハズを、アハズはヒゼキヤを、ヒゼキヤはマナセを、マナセはアモスを、アモスはヨシヤを、ヨシヤは、バビロンへ移住させられたころ、エコンヤとその兄弟たちをもうけた。バビロンへ移住させられた後、エコンヤはシャルティエルをもうけ、シャルティエルはゼルバベルを、ゼルバベルはアビウドを、アビウドはエリアキムを、エリアキムはアゾルを、アゾルはサドクを、サドクはアキムを、アキムはエリウドを、エリウドはエレアザルを、エレアザルはマタンを、マタンはヤコブを、ヤコブはマリアの夫ヨセフをもうけた。このマリアからメシアと呼ばれるイエスがお生まれになった。こうして、全部合わせると、アブラハムからダビデまで十四代、ダビデからバビロンへの移住まで十四代、バビロンへ移されてからキリストまでが十四代である。」
これを見て驚かされるのは、そこに登場する4人の女性。まず「タマル」。彼女は夫エルが子供を残さずに死んだために習慣に従ってその弟オナンと結婚。しかし彼もまた子供を残さずに死んでしまう。ユダは、タマルに、まだ幼い三男シェラが成人するまで未亡人として実家に留まるよう命じる。 しかし、シェラが成人してもユダはタマルとシェラを結婚させようとしない。そこでタマルは驚くべき行動に出る。自分の子どもを残そうと、ユダが商用で近くの町に来たとき、娼婦に変装してユダを誘ったのだ。ユダはそうと知らずにタマルと寝てしまう。この時タマルは用心のため、ユダであるという証拠の印章と杖を受け取る。タマルは妊娠。それを知ったユダはそれが姦淫によるものと考え、彼女を殺そうとする。しかし、タマルはユダから預かった印章と杖を見せ、彼女がユダによって身ごもったことを証明。このためにタマルは許され、ユダの名を継ぐペレツとゼラという双子を産むことになった。このようなユダ、そして彼とタマルから生まれたペレツもイエスの父ヨセフの先祖、イエスの先祖なのである。ヤコブの子ユダには他に11人の兄弟がいた。その中にはヤコブの最愛の妻ラケルが最初に生んだたヨセフもいる。ヨセフは、奴隷として売られながらエジプトの宰相にまでなった人物。エジプトに連れてこられた時、主人ポティファルの妻から誘惑されながらきっぱり拒否した人物。ユダよりよほどイエスの父ヨセフの先祖にふさわしい。しかし、「マタイによる福音書」はヨセフではなく息子の嫁と交わったユダを系図に入れたのだ。神の子イエスは、まさに汚辱にまみれた人間世界に生まれたのである。
(レンブラント派「ユダとタマル」) 娼婦に変装して舅ユダを誘惑するタマル
(オラース・ヴェルネ「ユダとタマル」)
(グエルチーノ「ヨセフとポティファルの妻」)
ヨセフを誘惑するポティファルの妻と拒絶するヨセフ
(グイド・レーニ「ヨセフとポティファルの妻」)