『対比列伝』を書き換えた澤田謙の「英雄」
今日は、京都大学西洋古典研究会の例会で、日本におけるプルータルコス『対比列伝』の受容にかんする発表をさせてもらった。分析対象として取り上げたのは、主に昭和時代に活躍した文筆家である澤田謙(さわだ・けん、1894(明治27)~1969(昭和44))の『少年プリューターク英雄伝』(1930年=昭和5年)だ(数年前、講談社文芸文庫の復刻版が出たが、詳しくは下のリンクを参照されたい)。
澤田の著作は、一言でいえば、『対比列伝』のアダプテーションである。『対比列伝』については、明治から大正にかけて、さまざまな翻訳(すべて英語からの重訳)が現れたが、澤田書は、これらとはその性格を異にしている。要するに、澤田独自のさまざまな「編集」の形跡がみられるわけだが、そのなかでも最も重要なのは、彼の伝記対象人物の取捨選択にかんするものだ。プルータルコスの原典では、長いギリシア・ローマの時代(神話時代も含む)から50人(「ペア分」が46人、「単独分」が4人)が選ばれており、澤田は、これにもとづいて、以下の10人の「英雄」の伝記を書いている。
1.アレクサンドロス、2.カエサル、3.ブルートゥス、4.プラトーン、5.テミストクレース、6.アルキビアデース、7.ペロピダース、8.デーモステネース、9.ハンニバル、10.キケロー(※4と9は、プルータルコス作品を参考にしながら、澤田が一から創作したもの)
参加者の方々のリアクションがとくに大きかったのが、「(原典は50人だが)そもそもなぜこの10人なのか?」という問題についてだ。発表では、澤田書の政治性―強いリーダーシップをもつとともに、命をかけて目的を果たそうとした軍人や政治家を称揚する傾向―を強調したのだが、それを念頭に置くと、澤田の人物の選定にも一定の「法則」が見つけられそうなのだ。たとえば、「強大な権力に敢然と立ち向かった」という点で共通するのが、アレクサンドロス(vs.ペルシア帝国)、カエサル(vs.ローマ中枢)、ブルートゥス(vs.カエサル派)、プラトーン(vs.シチリアの独裁者ディオニュ―シオス)、ペロピダース(vs.スパルタ)、デーモステネース(vs.マケドニア)、ハンニバル(vs.ローマ)だ。澤田は、執筆動機を記した「序」のなかで、アメリカを(暗示的に)敵視している―当時、戦争の機運がすでに高まっていたことを忘れてはならない―が、ひょっとすると、この大国をはねかえすための日本のモデルになりうるという理由で、上記の人物たちを「英雄」とみなしたのかもしれない。
「英雄」という概念は、とくに大戦期、特殊な意味を与えられていたのではないかと僕は推測している(ここで思い出されるのが、明治時代に日本に紹介され、その後広く読まれることとなった、トマス・カーライルの『英雄崇拝論』である)。澤田の「英雄」のとらえ方については、まだもう少し調査を続けようと思う。