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金山町「北部春模様」 2019年 春

2019.04.28 13:31

会津盆地の桜満開から1週間。県内でも開花の遅い奥会津の桜を見ようとJR只見線の列車に乗って金山町に向かった。

平成最後となる只見線の旅は、会津若松から只見線の列車に乗り、早戸で降りて輪行した自転車を利用した。

 

旅程は以下の通り。

沼沢湖→(太郎布集落)→"大志俯瞰"撮影ポイント

→太郎布高原→(中川集落)→道の駅「奥会津かねやま」

→会津中川駅→(大志集落)→只見川左岸

→玉梨温泉「せせらぎ荘」→会津川口駅

 

高低差のある約26kmのルートだったが、沿道の桜や芽吹き始めた新緑を見ながら、奥会津・金山町の春の風景を楽しむ事ができた。

*参考:

・福島県:JR只見線 福島県情報ポータルサイト

・東日本旅客鉄道株式会社:「只見線について」 (2013年5月22日)

・拙著:「次はいつ乗る?只見線」カテゴリ ー只見線の春

 

 


 

 

只見線の始発列車に乗るために、会津若松市に前泊した。

 

今朝の会津若松駅。昨夜の弱い雨の名残か、駅舎上空には大きな雲が見られたが、天気予報通り晴れるような空模様だった。

  

駅前のバスロータリーの路面を見ると、案内表示が塗り直されていた。

 

先月発生した交通事故後に施されたのだろうか。事故の様子は、地元紙・福島民報が3月21日付けの紙面で伝えられていた。

このバスロータリーは塗装が消えてしまうと、どこが歩行者帯なのか不明で、行き交うバスやタクシー、駅頭に向かう自家用車などに注意しながらバス停まで行かなければならない。観光客など慣れない方には"使い勝手が悪い"バス乗り場、という印象を私は持っていた。

 

会津若松市は福島県とJR東日本間で会津地域の観光振興等に関する協定を結び、会津若松駅前広場の整備などを進めるという。先月25日の締結式の様子が福島民報で報じられていた。

協定では「公共交通利用の促進」が挙げられ、「二次交通への接続向上」が目指される。この駅前再開発により悲惨な事故が二度と起こさないばかりか、観光都市・会津若松の玄関口に相応な安全で"使い勝手の良い"バス乗降場を作り上げて欲しい。 *参考:会津若松市「福島県、JR東日本仙台支社と包括連携協定を締結しました」(2019年3月28日)

  

 

駅頭で自転車を輪行バックに収納し、改札を通り連絡橋で只見線のホームに向かう。「磐梯山」は未だ濃い鼠色の雲に覆われていた。

6:00、会津川口行きの始発列車が会津若松を出発。2両編成の乗客は10人に満たず、早朝の便である事を差し引いても、休日にしては少なすぎると思った。 

 

切符は「小さな旅ホリデー・パス」を利用。

  

 

列車は七日町西若松の市街地の駅を経て、大川(阿賀川)を渡る。

  

会津本郷を出発直後に会津美里町に入る。「明神ケ岳」(1,074m)が連なる稜線には残雪とは違った紋様が見られた。昨夜、高地では雪が降ったのだろうか。

  

列車は会津高田を過ぎると、右に大きくカーブし真北に進路を採る。私は下り列車から眺めるこの風景が好きだ。

  

周辺の田には水が張られ、幻想的な水鏡を創っていた。春の、短い期間限定の風景だ。

  

根岸新鶴を経て、会津坂下町に入り若宮手前では左側の車窓から住宅越しに飯豊連峰が見えた。一部雲が掛かっていたが、冠雪の様子ははっきりと分かり、会津盆地の春の風景に心が和んだ。

 

  

会津坂下では会津若松行きの上り列車とすれ違いを行う。ホームには高校生を中心に多くの客が居た。只見線の収支を底上げしている利用者だ。

列車は7分停車し出発。乗客数はほとんど変わらなかった。 

 

 

車内にはレールを駆る音がのどかに響いていたが、徐々にディーゼルエンジンの鼓動が激しさを増し、七折峠の登坂を開始した。

  

峠の途上にある塔寺を経て、、第一花笠-第二花笠-元屋敷-大沢の四連トンネル付近でエンジン音は穏やかになった。

  

下り坂の途中で、視界が開ける"坂本の眺め"では桜を見る事はできなかったが、冠雪した飯豊連峰を見る事ができた。

  

会津坂本に停車。ホームのヤオタメはまだ綺麗に咲いていた。

  

列車は柳津町に入り、会津柳津を経て、「福満虚空蔵菩薩 圓蔵寺」裏手にある枝垂れ桜並木の前を通り過ぎる。見頃は過ぎていたが、まだ見応えはあった。

  

新田踏切を過ぎて、スノーシェッドを潜り抜け"Myビューポイント"を通過した。「飯谷山」(783m)を頂点とする山々の稜線は見え、これから向かう奥会津の天候はまずまずだろうと思った。

 

郷戸に到着。駅舎となっている小屋を取り囲む桜はほとんど散り、ホームは桜色になり、昨夜の雨が流紋を作っていた。前方に見える社脇に立つ桜は満開だった。種は何だろうか、と思った。

  

次駅・滝谷の使われなくなったホームの桜も散っていた。満開の時期、ここにも多くの鉄道写真愛好家(通称"撮り鉄")が訪れる。

  

列車は滝谷出発直後に、"只見線橋梁区間"の前座を務める滝谷川橋梁を渡り三島町に入る。只見線随一の渓谷には多様な緑が芽吹いていた。*以下、各橋梁のリンク先は土木学会附属土木図書館歴史的鋼橋集覧

 

 

 

会津桧原を経て、「第一只見川橋梁」を渡った。

   

名入トンネルを抜けて、国道400号線が見えると、崖上の桜並木の視界を遮るものが無かった。斜面の木々が切り倒されたようだった。車内からの見どころは増えたが、根枯れによる崖崩れが心配になった。景観を保全しながら、安全対策をして欲しいと思った。

 

会津西方を出発すると、野沢街道踏切そばの木々が伐採されていた。「只見線利活用」対策の一環である「景観創出事業」が行われた場所だ。

 

 

列車は直後に「第二只見川橋梁」を渡った。

  

先ほどの伐採箇所は、この橋梁の景観向上のために設けられた。今月5日付けの福島民報の記事によると『新眺望ポイント誕生』と題し、福島県宮下土木事務所が約20本の雑木を伐採し"周辺からの眺望に加え、車窓からの景色も向上した"と報じていた。

実際、車内から見る景色はあまり変化が無く、"撮る人"のための事業であると理解した。最寄の会津西方駅は小さな待合室だけがあり、現状、只見線に乗ってきて徒歩で写真を撮った後は何もできない。自家用車で乗り付けた"撮る人"の為に行わた「景観創出事業」であり、このままならば只見線への直接的な利益は生まれないだろう。

今後は、会津西方駅で降りた客が、この「第二橋梁」の"新眺望ポイント"を含め、「第一橋梁ビューポイント」や「三島町生活工芸館」、「レストランどんぐり」、「森のしごと舎」、「森の校舎カタクリ」などの周辺施設に移動でき、周遊・滞在できるような二次交通や歩道の整備が求められる。

「只見線利活用」を中心となって進める福島県は、「景観創出事業」が只見線と周辺自治体への確実な利益となるようにして欲しいと強く願う。 *記事出処:福島民報 2018年12月29日付け *段組み、加工

  

列車は会津宮下手前で、"アーチ3橋(兄)弟"の長男・大谷川橋梁を渡り、次男・宮下橋を見下ろしながら進む。 *参考:埼玉県 観光課「【橋りょう】新宮下橋・JR只見線大谷川橋梁・宮下橋〔三島町〕

  

会津宮下では、会津若松行きの上り列車とすれ違いを行う。ホームには2名の客がいた。

  

 

列車は会津宮下を出発すると国道252号線の架橋を潜り、間もなく東北電力㈱宮下発電所の直側を通る。宮下ダムの脇に並ぶ桜の前には大勢の撮り鉄諸氏が居た。桜越しにこの列車を撮るのだろう。

   

連続するスノーシェッドやトンネルの合間からは宮下ダム湖(只見川)を取り囲む新緑が見えた。

   

 

列車は一瞬只見川から離れ、「第三只見川橋梁」を渡った。

  

渡河後に滝原トンネルに入り、潜り抜けると早戸トンネルとの間の明かり区間になる。ここは、只見川との間にある雑木を伐採し、枝を剪定すれば、車窓から良い景観が見られる場所だ。「景観創出事業」はこのような場所を優先して行てもらいたいと思う。

 

 

 

 

 

7:43、早戸に到着。私の他、もう一人の旅人らしき方も降りた。

   

列車を見送り、輪行バッグから自転車を取り出し、組み立て。2分とかからず完成。この組み立て-格納に掛かる時間の短さが、小径の折り畳み自転車の最大のメリット。

12kgとロードバイクより重いが、この手軽さを考えると、輪行は苦にならない。小径折り畳み自転車が広く知られれば、只見線に輪行文化が広まると思う。

  

 

自転車にまたがり、移動を開始。

駅の上方を走る国道252号線に入り、三島町方面に戻る。早戸温泉「つるの湯」を見下ろし、「竹のや旅館」を前を通って町道とのT字路に5分とかからず到着。桜を見ながら右に曲がり、町道を進む。

  

前方、只見川に掛かる早三橋の向こう側、東北電力㈱沼沢沼発電所(1952(昭和27)年11月~2002(平成14)年9月)跡地には満開の桜が見られた。

  

橋を渡ると金山町に入り、四つの大きなカーブを持つ坂を上ってゆく。二つ目のカーブを抜けると前方に大きな桜の木が豊かな花を咲かせていた。

  

平坦な道に出ると、沼沢沼発電所の水圧鉄管(上部)跡がある。建設当時、東洋一の揚水式発電所というだけあって見応えがある。産業遺構として整備してもらいたい。*参考:水力ドットコム「東北電力株式会社 沼沢沼発電所 跡」 URL: http://www.suiryoku.com/gallery/fukusima/numazawa/numazawa.html

 

この跡地の側には五本の桜が並び、綺麗に咲いていた。

   

平坦な町道は緩い上り坂になり、県道237号(小栗山宮下)線とT字路でつながる。ここを右に曲がり、直後に6つのヘアピンカーブを持つ急な坂道を進んだ。

  

途中で自転車を押し息を切らしながら上ってゆくと、二つ目のカーブの突端から、滝が見えた。地元の方の話によると、雪解け水で姿で表す春限定の滝だという。

   

ヘアピンカーブを抜けると、右手が開け、水圧鉄管跡や早戸温泉方面が見えた。この景色は、“沼沢活火山(外輪山)登山”とも言える、この急な登坂の疲れを癒してくれる。

  

県道脇には水路のような沼沢川があり、勢いよく流れていた。

  

 

早戸駅を出発して、40分ほどで沼沢湖畔に到着。

  

空気は冷たく、風も吹いていたが、4つのテントが張られていた。「沼沢湖キャンプ場」は昨日オープンしたというが、夜や朝方の冷え込みは大丈夫なのだろうか、心配になる。*参考:拙著「金山町「ソロキャンプ@沼沢湖畔キャンプ場」(2018年10月6日)」 

  

沼沢湖は、極端に水量が少なく、湖畔の砂浜が大きく露出してた。

 

私が過去4度見た時は、金属柵は水中になり、フロートも浮いていた。

 

水際は東北電力㈱が管理する第二沼沢沼発電所取水口上部まで後退していた。

沼沢湖は第二沼沢沼発電所(揚水式)の上池になっていて、下池(只見川・宮下ダム湖)間で発電-揚水を繰り返している。揚水は夜間の余剰電力を使って行わるため、昼間が揚水中で湖の水位が低いということは考えられない。どのような理由から“水不足”になっているのか知りたい思った。 *参考:会津若松観光ビューロー 会津地域産業観光ガイド「東北電力株式会社 第二沼沢発電所

  

湖畔のサイクリングロードを進むと、湖に浮かぶフロート付近に何かが群がっているのが見えた。

 

よくみると、ボートに乗った釣り人だった。今月1日から解禁になったヒメマス漁のようだ。

  

水位の低下で露わなった湖岸にも数人の太公望が居た。 *参考:金山町「沼沢湖ヒメマス漁について」(2019年3月29日)


  

 

沼沢湖に注ぐ唯一の河川ともいえる前ノ沢の水量は多く、魚道のアクリル板は取り外され、奇異な形の滝になっていた。

 

昨年秋に見た時は、ユニークな魚道が機能し、多くのヒメマスが俎上していた。

ヒメマスの産卵時期になる9月下旬から11月上旬にかけて、ふたたびアクリル板が挿入され、魚道になるのだろう。

 

この魚道はヒメマスの産卵域を拡大するために実証実験を経て、昨年建造された。今年は、上流にもう一基設置される予定で、“令和元年8月21日”までと記された工事看板が仮設事務所前に立てられていた。 *参考:福島県宮下土木事務所「ヒメマス産卵遡上のための魚道実証実験」(PDF)

  

 

魚道側には休耕田を活用したマコモダケ畑が広がる。5月にマコモ株の定植が行わるという。  *参考:広報かねやま 平成29年9月号(633号、p2~p3)

  

 

再び県道に戻り、沼沢集落内の坂を進んだ。ここから先、太郎布集落までの区間は初めて通る。

 

途中、桜が目に入り、右の路地を進むとソメイヨシノに取り囲まれた空き地が広がっていた。

 

1981(昭和56)年に廃校となった金山町立沼沢小学校の跡地だった。閉校後は宿泊施設「沼沢湖山荘」として利用されたが、2003(平成25)年度に解体された。

 

小学校の体育館があった高台には、出窓が特徴的な旧職員宿舎があり、その前には満開にベニザクラが咲いていた。

近所のご婦人と話をすると、小学校跡地周辺の桜について『今年は綺麗に咲いている』ということだった。

   

県道に戻り、長い坂を上ってゆくと、薬師寺の裏に「高祖沼沢府君の碑」と書かれた標杭があった。

「沼沢府君」とは、源頼朝の東北平定後に会津地方を任された会津四家の山内(横田山ノ内)家から分家した子孫・沼沢実道。この奥にある碑は、実道の玄孫・一通が1762(宝暦12)に建立したという。 *参考:会津若松観光ビューロー「会津の歴史 佐原・葦名氏時代の概要

  

県道はさらに坂が続く。

  

“幻の青ばととうふ”で知られる玉梨とうふ茶屋付近に繋がる広域林道の分岐を越えても坂は続く。

  

県道の最高点633mを過ぎて、登坂の苦悩から解放され、快適に下った。

 

まもなく太郎布集落が見え、その先には冠雪した「御神楽岳」(1,386.5m)が頂を出していた。

  

集落を通り抜け、フェアリーランドかねやまスキー場の裏手を通り、県道から太郎布高原に向かう町道に入る。直後に現れた分岐を直進し、林の中を進んで行く。

   

道は途中から砂利道となり、尻吹峠に向かって緩やかに上ってゆく

   

峠付近で鋭角に左に曲がり、しばらく進むと右手が大きく開ける。前方の新潟県境に連なる山々が冠雪していた。

  

なだらかに下る直線の道を進み、3つのヘアピンカーブを抜けると、目的地が前方に見えた。先客は宇都宮ナンバーのSUV一台だけで、三脚が一つ置かれていた。

  

9:29、“大志俯瞰”ビューポイントに到着。カーブの突端に立ち見下ろすと、右に只見川畔に佇む大志集落、左に真っ白に冠雪した「御神楽岳」を一緒に見る事ができた。

  

景色を眺めていると、谷間に汽笛が響き渡った。

 

9:33、只見線の下り列車が会津中川駅に到着。コンデジの望遠を最大にして、何とかとらえた。先頭はラッピング車両だった。

  

そして、駅を出たキハ40形が、大志集落の脇を通った。

  

今日の最大の目的は、この一枚を撮る事だったが、天候にも恵まれ春の風景を収める事ができた。

   

“大志俯瞰(ビューポイント)”を後にして、来た道を引き返すと、法面に紫の一群が点在していた。カタクリの花だ。

  

 

砂利道を進み、右の高台に続く道を見上げると一本桜が見えた。坂を上って見に行く。

 

桜の周囲には低木が生い茂り、近付いて見ると、美しさが半減してしまった。

この周囲には桜は見られず、貴重な一本桜になっている。周囲の景観も良いことから、低木などを伐採し、見せる工夫をすれば観光資源になるのではないかと思った。

  

この桜の前には、平原が広がっていた。

 

新緑越しの「御神楽岳」。“会津発祥の地”という物語を考え合わせても、この春の風景は良い眺めだった。このロケーションは利用価値があると思った。

  

 

尻吹峠を抜け、太郎布高原に向かうと、これから耕作を迎える大きな畑が広がっていた。

 

ここにはアザキ大根が自生していて、5月下旬頃から紫の花を咲かせる。 *参考:拙著「金山町「太郎布高原 アザキ大根畑」(2018年6月2日)」 

  

 

この先に町指定史跡「糠塚古墳」があった。古墳時代後期の7世紀に造られた、直径約30m、高さ約5mの円墳だという。

   

畑の間に伸び、緩やかに下る町道を進む。見晴らしがよく気持ちよかった。

  

途中、工事看板が見られた。東北電力㈱の送電線の張替工事だった。インフラの維持には手間が掛かる。

 

 

森の中に入った町道を下りきると、中川大栗山線(フェアリーロード)にぶつかる。交差点の南側には「宮崎栗団地跡」を示す碑があった。

 

裏を読むと、東北電力㈱上田発電所建設で水没した宮崎集落の田畑の代替地として造成された栗栽培の跡地だという。

  

 

バイパス工事が終わった箇所を進む。見晴らしが良かった。

 

開けた場所から、中川地区を見下ろした。

     

法面では山菜採りをする方が居た。

  

中川大栗山線は、県によるバイパス工事が行われている。現道から作業中の道路を見上げると、橋が架けられる予定地が見えた。

  

現道をさらに進み、中川構内踏切を渡り、駅を見た。

  

  

10:30、会津中川駅前に到着。満開の桜が春の陽射しに照らされ、綺麗だった。

  

駅近くにある道の駅「奥会津かねやま」に向かう。

 

多くの車やバイクが停車し、賑わっていた。

 

駐車場の端に建つのは、工事の仮設事務所。ここには、東北電力㈱が管区初の水力発電PR館となる「奥会津水力館」を建設する予定になっている。

「奥会津水力館」は2011年の創立60周年記念事業として計画されていたが、東日本大震災と平成23年7月新潟・福島豪雨で中断していたという。福島民報では2月の計画再開発表から、今月の安全祈願祭の様子まで報じていた。

  

水力館が面する南側の法面は木々が伐採されていた。

 

水力館内に設けられるカフェから良い眺めが期待できるだろう、と思った。

  

この法面の下、桜などが植林された場所は町指定重要文化財「宮崎館跡」となっている。会津四家・山(ノ)内家の一族だった宮崎右近の居館だった。

  

「奥会津水力館」が開館すると、道の駅や中川温泉など会津中川駅周辺には多様な施設が集積することになる。各施設が有機的に繋がっていると観光客が思えば、この地での滞在時間は伸びるだろう。そうなれば、宮崎館跡のような散策できる場所の価値は高まると思う。

只見線の全面復旧(全線再開通)となる2021年度には、沿線はメディアを通して多くの注目を浴びる事になる。その際、『会津中川駅周辺はおもしろい』という評価が広まり、多くの観光客が訪れるようなエリアマネジメントを金山町にはして欲しいと思う。

  

道の駅「奥会津かねやま」の中に入り、昼食を摂る事にした。

 

11時の開店を待って、お食事処「こぶし館」に向かう。食券を購入し、店内へ。県指定重文「旧五十島家住宅」が見える窓際の席に座る。

 

注文が受けられてから5分ほどで、アザキ大根高遠そばの大盛が運ばれてきた。今まで、閉店の15時までに間に合わず機会を逸していたが、ようやく食べることができた。

そばは香りコシとも申し分なく、旨かった。薬味として添えられたアザキ大根は、噂通り辛味が強かったが、甘みがあり香り高く、そばをより美味しくいただけた。期待に違わぬ一品だった。

 

この食堂について、一つ残念だったのは、時節柄、山菜料理を供していなかった点。売店で採れたての山菜が売られていた事を考えると、料理で提供できるはずだ。今後は、観光客が期待する地元の名産を、時期に応じてメニューに加えて欲しいと思った。

  

 

食事を終え、再び会津中川駅に向かった。列車の入線に合わせて写真を撮るためだ。

  

まず、駅舎を背にシャッターを切る。上空を覆うような桜と地面に散り落ちた花びらが、心地よい空間を創っていた。

    

撮影場所に移動すると、6名の撮り鉄諸氏が思い思いの場所で三脚を設置していた。止められて車は大半が県外ナンバーで、北九州の車両もあった。

  

カメラがレールに向けられた光景は、只見線の「撮られる価値」を知らしめてくれる。

同時に、税金が投入され不通区間が運営(上下分離方式)される事を思うと、この撮る方々には『乗るか、買うか』で必ず沿線におカネを落として欲しいと強くの望まざるを得ない。

  

12:36、会津若松行きの上り列車が駅に入線した。先ほど“大志俯瞰”ビューポイントから見た車両の折り返し運転だ。

  

背部の山々を含めて収めると、野趣味ある春の風景となった。福島県が目指す“観光鉄道「山の只見線」”を象徴する構図の一つには違いない、と私は思っている。

 

 

列車の撮影後、移動を開始。国道252号線を進み、大志集落を通る。

  

沿道にある八幡神社の桜も、まだまだ見応えがあった。

 

大志集落を抜け、「かねやまふれあい広場」に立ち寄った。

  

列車と大志集落を一緒に撮る事ができるポイントだ。会津中川駅と会津川口駅のほぼ中間にあり、歩いてゆく事もできる事から、只見線内屈指の撮影場所になっている。

   

ここから、上流方向の対岸に見える“花の園”に向かうことにした。

  

 

上井草橋を渡り左折、5分ほどで会津川口駅が正面に見える“花の園”に到着。ソメイヨシノはまだ見頃でハナモモの鮮やかな紅色と他木々の新緑が、華やかで美しかった。

 

この“花の園”は、偶然にも今朝の福島民報の3面で取り上げられていた。

この場所に名前は無く、地元の有志組織「愛される川口をつくる会」が2010年に約300本のハナモモなどを植栽したという。各花々の今後の成長が楽しみだ。

  

 

次は、上井草橋のたもとを右に曲がり、只見川沿いの未舗装道を進んだ。

  

5分ほど進むと、右側が大きく開けた。

  

只見川を挟んだ対岸には大志集落が見えた。

    

この場所には、金山町大志出身の色鉛筆画家・大竹惠子氏のカレンダーにあった「カタクリの丘」の景色を求めて来た。*参考:「色鉛筆画家 大竹惠子」 URL: http://heart623.web.fc2.com/work_f.html

しかし、アングルはもっと上部からのもののようで、ここではなかった。上井草集落からのびる道を進んだ先にあるのかもしれない。今回は時間が無いので、また改めて「カタクリの丘」を探したいと思い、引き返した。

ちなみに、大竹氏の色鉛筆画を私は気に入っている。画調は柔らかで情緒あり、地元出身であることもあり奥会津の情景と人情が、力みなく自然に表現されているようだ。是非、多くの方に見てもらいたいと思う。

   

 

再び上井草橋を渡り、国道252号線に戻り、今日の最後の目的地である玉梨温泉に向かった。  

会津川口駅前から国道400号線に入り、坂を上ってゆく。小栗山地区に入り、スキー場に向かう道との分岐点を過ぎると、前方に紅色の桜が見えてきた。

  

反対側に回り全体を見上げる。「小栗山の桜」と呼ばれるオオヤマザクラで、町内で名を持つ数少ない桜だ。

   

国道をさらに進むと、赤屋根の屋敷の裏に桜群が見えた。植栽されたもののようで、地表は手入れされ、背部の杉林が美しさを際立たせていた。

  

国道は緩やかな上りが続き、大きな下り坂が一箇所あった事もあり、登坂はさほど苦にはならなかった。4つのスノーシェッドを潜り抜けると、湯元橋の上から八町温泉・玉梨温泉が見えた。

   

国道を下り、右に入る細い道を進むと野尻川に架かる弁天橋となり、目的地である金山町温泉保養施設「せせらぎ荘」が見えた。護岸整備工事が進められていて、ブルーシートが目立っていた。

    

野尻川の右岸は八町温泉共同浴場と恵比寿屋旅館があり、左岸は玉梨温泉共同浴場がある。 *参考:金山町「温泉ガイド

    

弁天橋を渡りきり、桜に囲まれた坂を下った。

  

13:40、「せせらぎ荘」に到着。

「せせらぎ荘」には大黒湯と玉梨温泉の二つの源泉がある。大黒湯は天然炭酸温泉で、町は“天然サイダー温泉”としてPRしている。

  

浴室は野尻川に面して、対岸の桜も見えるが、間に道があるため窓の外には簾がかけられていた。せっかくのロケーションがもったいない気もするが、町民のための施設である事から町民の考えが優先されるべきだろうと考えなおした。

  

温泉にゆっくり浸かった。

大黒湯は低温ながら、入浴直後から汗が吹き出し、サウナのような気分で、気持ちが良かった。もちろん、体表には泡が付き、“天然サイダー温泉”を実感できた。

【源泉概要】
・大黒湯(天然炭酸温泉)
泉質名:含二酸化炭素-ナトリウム-炭酸水素塩・塩化物・硫酸塩温泉
源泉温度:36.8℃
・玉梨温泉
泉質名:ナトリウム-炭酸水素塩・塩化物・硫酸塩温泉
源泉温度:45.9℃

 

最寄の会津川口駅から「せせらぎ荘」までは二次交通の問題がある。町では乗合タクシーを運行させているが、町外利用者は便数が限られ、片道500円という料金は現実的ではないと思う。*記事出処:福島民報 2018年6月30日付け紙面

私は乗合タクシーを、只見線列車の発着に合わせて“デマンド式、運賃往復500円”で実証実験で運行させ、2021年度の全線復旧に合わせて導入する可否を探る必要を感じる。

同時に、会津川口駅周辺で滞在する時間を延ばせるようなアクティビティや休憩所、食事処の整備が必要だと思う。この際、国道400号線で繋がる昭和村との連携も欠かせない。

二次交通はインフラで、何時でも負担無く利用できなければならない。観光客が“見たいもの触れたいもの体験したいもの”へのアクセスが阻害されないような移動手段、二次交通の整備を金山町のみならず、只見線沿線の自治体は目指して欲しい。

  

「せせらぎ荘」に1時間ほど滞在して、会津川口駅に向かって移動を開始。復路、唯一の難所である“坂井の坂”。ここを乗り切れば、駅までは下りが続き、気持ちよく自転車を進められる。

  

 

15:09、約20分ほどで会津川口駅に到着。

  

駅頭で約26kmを走った自転車を折り畳み、輪行バッグに入れて、改札を通りホームに向かう。キハ40形東北地域本社色(仙台支社色)2両編成は、入線していた。

  

正面を向くと、先ほど訪れた“花の園”を見ながら弁当を食べる夫婦の姿があった。この光景は、そうしたいと思わせる力がある。

    

会津川口駅のホームから見える風景は、早戸駅とならび沿線屈指の水辺の景観美を誇る。雨風をしのげる屋根と壁、座り心地が良い椅子があれば、景色を見ながら長居したいと思える場所だ。

水辺の風景を創る只見川の水位は、東北電力㈱上田発電所のダムの貯水量に影響するが、川床が見える程下がる事は少ない。観光客がこの光景を四季折々で楽しめる確率が高い事は大きい。金山町はJR東日本の理解と協力を仰ぎ、ホームにホスピタリティの高い待合室などを設ける事を検討して欲しい。

  

15:27、只見からやってきた代行バスの乗客を多く乗せ、会津若松行きの上り列車が会津川口を出発。

  

金山町の北部を巡る旅を、無事に終えた。桜の名所と呼ばれる場所はほとんどないが、見応えのある桜は多く、山間に咲く一本桜と芽吹きのコントラストは素晴らしかった。

早戸駅(三島町)から沼沢湖の坂道はキツかったが、それ以外は小径の折り畳み自転車でも負担は少なく、景色を自分のペースで楽しみながら移動することができた。

   

会津若松に向かう列車の中では、往路とは逆の右側の座席に座り、車窓の景色を見た。 

 

会津中川を出て「第四只見川橋梁」を渡った。

  

列車は会津水沼を出ると、早戸手前まで国道252号線に沿って走る。  

8連コンクリートアーチ橋である細越拱橋を渡る。前方をよく見ると、路肩に多くの車が停まっていた。

  

菜の花越しに列車を写そうとした撮り鉄諸氏だった。車道に寄り過ぎて、危険な状態の方もいた。マナーは守って欲しい。

   

早戸に入線する直前に見える只見川の風景。ここは両岸が迫っていて、溪谷感がある。

  

早戸トンネルを抜けた後の明かり区間。往路(下り列車から)の車窓の風景と同じように、雑木の伐採と枝の剪定で見晴らしを良くすれば、素晴らしい景観ポイントになると思っている。

  

 

滝原トンネルを抜け、「第三只見川橋梁」を渡った。

  

 

会津宮下を経て「第二只見川橋梁」を渡った

  

 

会津西方を出て、名入トンネルを抜けた直後に「第一只見川橋梁」を渡った。

   

 

橋梁区間が終わり、列車は会津桧原滝原郷戸会津柳津会津坂本塔寺を経て七折峠を下りきり会津盆地を駆け抜けた。 

 

会津坂下若宮を経て会津美里町に入ると、水が張られた田が多くなった。

  

順光を浴びた列車は水面に映えるようで、新鶴を経て根岸を過ぎると撮り鉄諸氏が目立つようになった。

 

列車にかなり近づいて撮っている方も居た。

只見線の被写体として能力は疑いようがない。只見線の経営の一部に関わり、利活用を中心となって進める福島県は、撮り鉄諸氏が乗客増と沿線経済効果につながる行動をとってもらえるような策を採って欲しい。

   

列車は会津高田を経て、会津本郷の直前で会津若松市に入り、西若松七日町と進んで行く。

 

 

 

17:23、定刻を少し遅れて会津若松に到着。

  

この後、磐越西線の上り列車に乗り換え、郡山に帰ってきた。10連休の2日目、駅前は普段の休日より静かな印象を受けた。

 

今日は、只見線に乗った乗客が、思い思いの嗜好で観光地を巡るのならば、自転車が最適であることを再確認する旅にもなった。

 

ロードバイクや電動アシスト機能付きのMTBなどをレンタルサイクル制度を望むが、いわゆるママチャリ以上のコストが掛かる事を考えると、只見線全体で整備することで調達費用を下げ、管理システム共有することで維持費を抑える方策を検討してみてはと思う。

 

先の木曜日、25日に設立された「只見線利活用推進協議会」には、この二次交通の課題も含め、乗客増と沿線経済効果増につながる施策立案・実行・調整・進捗管理を望みたい。 *記事出処:福島民報 2019年4月20日、2019年4月26日付け紙面

  

 

(了)

 

 

・ ・ ・ ・ ・ ・

*参考:

・福島県 生活環境部 只見線再開準備室:「只見線の復旧・復興に関する取組みについて

・東日本旅客鉄道株式会社:「只見線(会津川口~只見間)の鉄道復旧に関する基本合意書及び覚書」の締結について(2017年6月19日)

・NHK:新日本風土記「動画で見るニッポンみちしる~JR只見線

  

【只見線への寄付案内】

福島県はJR只見線全線復旧後の「上下分離」経営での維持費や集客・地域振興策の実施費用として寄付を募集中(クレジット可)。

①福島県ホームページ:只見線復旧復興基金寄附金・只見線応援団加入申し込みの方法 *現在は只見線ポータルサイト「只見線応援団」URL:https://tadami-line.jp/support/

 

②福島県:企業版ふるさと納税

URL:https://www.pref.fukushima.lg.jp/sec/16005g/kigyou-furusato-zei.html

[寄付金の使途]

(引用)寄附金は、只見線を活用した体験型ツアーや周遊ルートの整備、只見線関連コンテンツの充実化等に活用させていただきます。 沿線地域における日本一の秘境路線と言われる観光資源を活用し、更なる利用者の拡大と認知度向上を図ります。


よろしくお願い申し上げます。