【アナザーテラー#03】起こる異変、それぞれの苦悩
One day,1899/ --:--:--
The Territory of Mtundu Tribe,Congo Loango
カヌーが桟橋に接岸するや、植物でできた簡素な衣装を纏った原住民たちが、ハイタワー三世の探検隊を笑顔で迎えた。探検隊は二十余名いたが、迎えた原住民はおよそ百名……それ以上だった。
ハイタワー三世は上機嫌で案内に着いていく。ジャングルの奥にあったのは集落だった。彼らはすぐさま歓迎の席を設け、ハイタワー三世を取り囲む。ここへ至るまでに数多くの苦労を強いられた探検隊は、ほっと息をついた。
だが、あまりに友好的な彼らの態度に違和感を覚える者がいた。ハイタワー三世の従者、スメルディングだ。
(ムトゥンドゥは、周辺で最も恐ろしい部族ではなかったか)
スメルディングは背筋に薄ら寒さを覚えながら、歓迎の宴に出た料理を口にした。
「これは」
同じく、料理を口にしたハイタワー三世も顔をしかめる。
「なんだ、これは。ろくに火が通っていない」
ハイタワー三世は自身の違和感を伝えると、ムトゥンドゥの首長、キジャンジは「一族の守護神が火を嫌うのだ」と答えた。
「守護神だと?」
ハイタワー三世はスメルディングを見た。せせら笑うような顔だ。スメルディングは返す言葉が見つからず、キジャンジを見る。彼は、シリキ・ウトゥンドゥ、と呟いた。
「シリキ・ウトゥンドゥ」「シリキ・ウトゥンドゥ」
周囲の原住民がぼそぼそとその名を口にする。
「どこにあるのか、聞いてみろ」
ハイタワー三世はスメルディングに言った。スメルディングはスワヒリ語で、その守護神はどこにいるのか、とキジャンジに尋ねた。
キジャンジは小さく笑って、立ち上がる。案内する、とでも言いたげだ。
スメルディングが立ち上がるより早く、ハイタワー三世はキジャンジに着いていった。
「お、お待ちください、御主人様!」
村の中央の祭壇に、それは安置されていた。
祭壇といっても、周囲の空間とそのシリキ・ウトゥンドゥを遮るものは何もなかった。
像自体も、ただの木彫りに過ぎない。
意外に簡素なのだな、とスメルディングは思った。ハイタワー三世は注意深く偶像に見入る。そして、「持たせてほしい」と願い出た。キジャンジはあまり乗り気ではなかったが、スメルディングの懇願が効いたのか、幸いにも撮影まで許可が下りた。
ふと、偶像を手にしたハイタワー三世がこんなことを口にした。
「……このちっぽけな村を見下ろして、お前は満足か?」
言って、ハイタワー三世は不敵に笑む。スメルディングはああ、と声を漏らした。
(また始まった)
御主人様は、この偶像を持ち帰ろうとしている。
今までも、彼は旅の中で多くの芸術品を持ち帰った。正当に買い取ってではない、略奪によってだ。
この偶像はそれらの収集品と比べるまでもなく質素なものであるが、それでもムトゥンドゥにとっては守護神である。
「御主人様、いけません」
スメルディングは小さく呟く。ただでさえ、今は部族に囲まれている。満身創痍の探検隊が武力でかないようはずもない。
だがスメルディングの願いも空しく、ハイタワー三世の手は、自身の懐へとのびていた。
ハイタワー一行はカヌーで川を下る。部族は銃に恐れをなしたのか、追ってこなかった。シリキ・ウトゥンドゥを手に入れたハイタワー三世は上機嫌だった。しかし、ムトゥンドゥが全くの無抵抗で守護神を手離した理由が、スメルディングには分からなかった。まるで、わざと奪わせたようではないか。
「御主人様、他の部族が」
スメルディングは草間からこちらをうかがう人影に気付いた。探検隊は銃を構える。だが不思議と、彼らは襲ってこなかった。
カヌーに乗せられた偶像の姿を確認するや否や、弾かれたように立ち去るのだ。
(これは……いったい)
スメルディングは自分が何か、とんでもない失態を演じた、そんな気がした。
September 11,1912 /17:55:00
The Hotel High Tower, Park Place 1
「制御盤にも、異常はありません。これ以上は専門の業者を呼ばないと」
協会員の言葉に、ベアトリスは息を吐く。
「仕方ありません……しばらく、ツアーは中止に」
「かしこまりました。すぐにアナウンスを」
眼鏡の協会員は走り去る。
「カミーラ、手配をお願い」
「承知しましたわ」
バックヤードにはマンフレッドとマーク、ベアトリスが残された。
「人が乗っていなくてよかったよね、ほんとに」
マークが呑気に呟く。マンフレッドは声を上げた。
「そういう問題じゃ、ないだろう」
ベアトリスはマンフレッドを睨んだ。
「まさか、これも呪いのせいだなんて仰るのではないでしょうね」
「僕はこのことが呪いのせいかどうかよりも、このツアーが安全かどうかの議論をしたいところですが」
マンフレッドはベアトリスを見返す。「とにかく、このことは市民に知らせるべきだ」
「ちょっと!」
カミーラが戻ってきた。
「偶像が無いのだけど」
「なんだって?」
マークがカミーラを追う。書斎に戻った四人は、柱の上にあったはずの偶像が忽然と消えているのを確認した。
「まさか……そんな……」
マンフレッドは言って、書斎を立ち去る。
「待てよ」
マークがその背中を追う。
ホテルを出て、マンフレッドは暫く呆然としていた。
起こるべきことが起こった。いや、これは何かの前触れかもしれない。
──前触れ。これまでで最も、不吉な「何か」が起こる。
「待てってば」
思索するマンフレッドに声をかけてきたのはマークだった。飄々とした普段の彼からは想像しがたい渋面でこちらに詰め寄る。
「マーク」
「さっきのこと記事にするつもりか」
捲し立てるような口調で彼は言った。マンフレッドは息を吐く。重い、溜め息になった。
「それで、ツアーが中止されるのなら」
「会長はどうなるんだ」
マークはマンフレッドの腕を掴み、険のある口調で続ける。「偶像は消え、エレベーターは停止。……きっと何か勘違いした協会員が偶像を移動させたんだよ。エレベーターだって誰かが乗っていたわけじゃない。誰も被害を受けてないじゃないか」
「だが、マーク。ツアーを中止するには、充分な材料なんだよ」
「それで記事にしてみろ、槍玉にあがるのはベアトリス女史なんだぞ。彼女を傷つけてもいいのか」
何も言い返せなかった。ベアトリスを敵に回したくないのは事実だ。
マークはマンフレッドの腕をほどき、低い声で言った。
「調査に協力するとは言ったけど、このことを記事にするならもう協力はしない。これっきりだ」
「待て」
きびすを返す彼に声をかける。
「わかった。記事にするタイミングは、また考え直す」
だが、とマンフレッドは続けた。
「君たちは市民に、説明する責任がある。それでもツアーを続けるかどうかは、ベアトリスの判断だ」
マークは振り向き、頷いた。
「わかった、そうするよ。あんたが話の分かる記者でよかった」
September 11,1912 /21:59:59
The Hotel High Tower, Park Place 1
Present Day
深夜までホテルに残ったベアトリスは、呆然としていた。
起こるべきでないことが起こっている、とベアトリスは思った。メイヤーズ社曰く、巻き上げ機にも制御装置にも問題はない。エレベーターを作った奴に聞けとも言われた。
しかし、このホテルのエレベーターを作った会社などとうになくなっている。
(誰かが邪魔しているのよ……)
偶像の消失にしろ、エレベーターの停止にしろ、誰かがツアーの邪魔をしているとしか思えない。
「止まった」原因が分からないというのなら、誰かが「止めた」のだ。そこに「呪い」という結論を挟み込むのは短慮としか云いようがない。
(だとしたら、誰が)
無数のタペストリーが飾られた部屋で、ベアトリスはエレベーターの扉を睨む。
その時だった。
──ペタペタペタ………。
ベアトリスのいる部屋の外、倉庫の廊下から湿った音が聞こえた。子供の足音のような音。
振り返ると、木製の壁の間から青黒い闇が見えた。ベアトリスは廊下を覗く。出入口の方には誰もいない。
──ケケケケ。
二階の方から声がした。笑い声のようだ。
ベアトリスは階上を見上げた。
「誰かいるの?」
タマスの不気味な像が吊られているあたりに声を上げた。こんな時間に倉庫をうろつく人間がいるとしたら、まさか。
(捕まえてやるわ)
ベアトリスは廊下に出でて、階段を駆け登る。
September 12,1912 /08:19:00
NYCPS Office,Carlucci Building 3F
「顔色悪いぞ、ボス」
事務所に入るなり、マークは机に頬杖をつくベアトリスに声を掛けた。
「……ボスはやめて」
「昨日は徹夜?」
「ちょっとね。ツアー予約者に謝罪の手紙を書いていて」
言って、ベアトリスは唸る。
「……今日は早いのね」
「昨日の対応に追われてね。カミーラの奴は」
「彼女は倉庫に。本当は非番だけど、コレクションのリスト作り。ほんと、頑張ってる」
言って、ベアトリスはうんと伸びをした。
「なぁ、ほんとに大丈夫か? 無理しすぎじゃないか」
マークは 心配げにベアトリスを覗きこむ。ベアトリスは半眼でマークを睨んだ。
「父みたいなこと言うのね。それとも父に言われて協会 に来てるから?」
マークは一瞬ぽかんとベアトリスを見返し、すぐに苦笑した。
「知ってたのか」
「当たり前でしょう。あなたと父の関係くらい、お見通しです」
「あー、でも大丈夫。逐一報告なんかしてないし、よほどのことがない限りお父さんは君の好きにさせるさ。だから、あのさ、そんな眼で見るなって」
「……でも確かに、今日はちょっと疲れてる」
「昨日何かあった?」
「情けない話なのだけれど」
ベアトリスは昨日、倉庫で人の気配がしたので、それを追い倉庫内を走り回ったのだと語った。ホテルにおける物品の移動、エレベーターの停止。それらに関わる何者かが潜んでいるに違いない、とあのときは確信していた。
「今考えるときっと猫か何かだったのね、途中で気配が途絶えてしまったし。必死になって、馬鹿みたい」
「そう……」
真面目な顔で頷くマークに、ベアトリスは笑った。
「あなたの言うとおり、疲れてるみたい。ほどほどにするわ」
「それがいいね」
ところで、とマークはある封筒をベアトリスに差し出した。白い、飾り気のない封筒だ。
「最新号が来てる」
「ああ……」
ベアトリスは溜め息をつき、封筒を受け取った。封筒には「ハイタワー三世とその周辺に関する調査書」とある。
「困った記者さんね、本当に」
「君の目を汚すだけだと思う。捨てておこうか」
「いいえ、いいの。後で読むから」
そう、とマークは頷いた。ベアトリスがまるで宝石でも眺めるような眼でその封筒を見つめているので、マークは内心、笑いが止まらなかった。
「ツアーは今、中止ですよ」
不意に掛けられた声に、アーチーは弾かれたように振り返った。そこには女性の、ニューヨーク市保存協会員の姿があった。
彼女は柔らかい笑みを浮かべている。
アーチーは胸を撫で下ろす。敵意は無いらしい。
「迷ってしまったようだ」
アーチーは首を振り、困惑したように言った。「出口はどっちかね、お嬢さん」
彼女は笑みを崩さないまま、応える。
「暗い倉庫の中を灯りもなしに歩き回っていたようでしたから、慣れている方かと思いましたわ。それこそ」
訝しげに、彼女は首を傾げた。
「──目を瞑っていても歩けるくらいに、ホテルに詳しいような方」
協会員の語りは、まるでこちらのことを見透かしているかのようだった。自分のことを知っているとなれば、敵意は無くとも、それはアーチーにとっては危険な存在だ。
「君は誰だい」
「見てわからないかしら」
言って、彼女は制服を見せびらかすようにくるりと回った。
「関係者なの」
「ほう……」
なるほど、とアーチーは笑った。
「じつは私も関係者なんだ。見てくれじゃ、わからんだろうが」
「そうね。係員の案内も無しに秘密の倉庫までたどり着ける老人なんて、そういないわ」
「真新しい制服だね。新入りかい」
「新入りじゃないわ。見た目より、けっこう長いこと此処にいるの。カミーラよ、よろしく」
「アーチーだ。よろしくついでに何だが、私に会ったことは」
「誰にも言うなって?」
カミーラの笑みが、先程よりも不敵なものに見えた。
「そうだ。話のわかるお嬢さんでよかった」
「わかるわ。だって素晴らしいじゃない、このコレクションの数々。そのひとつひとつに、人々の魂を感じるわ」
「魂……」
アーチーは彼女の言葉に息を呑む。
「魂の存在を、君は信じるのかい」
「ええ。どうして?」
いや、とアーチーは首を横に振る。
「何でもない。……内緒にしてくれるお返しに、よかったら案内しよう。コレクションひとつひとつが、どういった経緯を辿りこの倉庫に行き着いたのか。それを知る者はもはや、そう多くない」
「ええ、是非」
カミーラが差し伸べた手を、アーチーはとった。彼女にはどこか普通の人間とは違う、独特の『気配』があるように思えた。
もうひとつの物語「アナザーテラー」著者:ハロウィン街の幽霊