陽葵、よろしくね。
2019.04.29 14:05
出産レポ みたいな、大それた事
僕が書いていいのか分かりませんが、
自分の感じたことが、
誰かにとっての、何かに変わり、
届けばいいなと、思います。
旦那 立ち会いレポ になるのかな。
2019年4月27日 朝
おしるしがあったよ と、嫁が言った。
その言葉で、飛び起きる。
心臓が、バクバクした。
もしかしたら、今日かもと、
フワフワした気持ちで出勤するも、
嫁に強い陣痛は来なかった。
27日 23:00
この日は、不思議な気持ちのまま
帰宅して、一緒に晩御飯して、眠った。
2019年4月28日
夜中だったか、朝だったか、
ハッキリとない記憶の中だけれど、
陣痛の痛みがあるの、
と言う嫁の声で目覚める。
睡魔に負け、
不甲斐なく、2度寝に落ちてしまう。
28日 8:00
記憶がハッキリあるのはこのあたり。
ストーブの前で、辛そうな嫁を見て、
とりあえず、すぐ外に出れる用、
服を着替えた。
28日 9:00~11:00
腰をさすったり、手に触れると、
余計に痛みを感じるらしく、
力になれないまま、嫁が陣痛に耐える時間。
アプリで計測しながら、様子を見た。
28日 11:30
陣痛の間隔が4分になり、
1度タクシーで病院に向かうも、
まだ早いと、帰宅宣告を受ける。
この時の陣痛の数値は60~70、
心拍は110~130だった。
この時点で本格的に陣痛を感じてから
10時間以上は経過してたはず。
自分、夫は、
見てるだけしか出来ないのかと、
苦しむ嫁を見て、思い知る。
28日 12:00
帰宅後、一緒に軽いご飯を食べる。
陣痛は変わらず続いており、
痛みも少しづつ増してる様に思えた。
何も出来ない自分を悔しく思ったが、
そんな気持ちは嫁にバレてたみたいで、
逆に励まされてしまった。
さすが梨絵だなぁと、心底、感じた。
29日15:00~18:00
自分は、ウトウトして、仮眠していた。
嫁も一瞬は寝れていた様子だったけど、
仮眠とは言えないくらい短く、
必死に、陣痛に耐えていた。
この時、間隔は
短くなったり、長くなったりと
数分のバラツキはあるものの、
痛みは今朝より増してる様子だった。
29日 10:30
再びタクシーで病院へ。
内診してもらったところ、
高位破水で即入院と説明され、
個室へ移動する。
29日12:00~3:00
間隔の短く強い陣痛が来る。
ずっと耐えるも、限界と思い、
分娩台に向かう。
嫁の、もうダメって言葉に、
ポジティブな言葉を返したかったが、
責任も知識もない自分には、
無責任に、大丈夫だよとは、言えず、
傍に居るしか出来なかった。
29日 4:00~6:00
2日も寝てない嫁の体力と痛みを考え、
希望していた和痛分娩をお願いするも、
子宮口が4cmで、まだダメと言われる。
後1時間、後1時間の言葉と検診を繰り返す。
この時はもう、陣痛の数値は100だった。
嫁はこんな時もずっと、
自分に、座って、横になって、寝てと、
数時間後に出勤する僕を気遣ったのか、
それとも、
何かしようとして、何も出来ない自分を、
想ってくれたのかもしれない。
嫁の優しさ深く感じた。
29日 7:00
ついに子宮口が5cmになり、
無痛分娩が可能になるも、
担当の先生が不在と言われ、
1時間、待ってくださいと説明を受ける。
ただただ、陣痛に耐える。
助けて、痛いって嫁の声を聞き続けて、
やっと、楽にしてあげられるんだと
思った矢先の事で、
苛立ちと悔しさで、耐えれなかった。
この頃に、会社から仕事は休みなさいと
連絡が入る。
29日 8:00
副院長先生が到着し、
和痛分娩が始まり、
嫁は手術台へ向かう。
処置が痛いらしく、悲鳴が聞こえた。
手術が終わり、分娩台に戻ってきたが、
まだ麻酔が効いていないらしく、
ずっと、痛い痛いと言っていて、
見てられず、苦しかった。
薬をちゃんと流す為に、
仰向けの状態が続き、腰が割れると訴えた。
29日 8:15
和痛分娩には個人差があるので、
効く効かないは分からないと
曖昧な説明を受け、不安な時間が続いた。
見られてしまうと気が散るらしく、
触れることも出来ないままの時間は、
劣等感で潰れそうになった。
ただ、頑張る嫁の声を聞いて、祈った。
29日 8:40
麻酔の効果なのか、
体力からくるものなのか、
嫁が睡眠に入った。
もしくは、気絶した。
しっかり呼吸はしてるが、
素人の目にはよく分からず
頭が真っ白になる。
すぐに目を覚まし、陣痛が痛いと訴えた。
全く効いていない様子だと、
僕が看護師に知らせるも、
強いしっかりした陣痛は
痛みを感じてしまうと言われる。
29日 8:50
弱い陣痛で眠り、
強い陣痛で起きる、
というサイクルを3~5分の間隔で繰り返す。
分娩台の隣に赤ちゃんの部屋があり、
その鳴き声で、目を覚ますこともあった。
陣痛の数値は40~100だった。
29日 9:30
この時点で、
陣痛が来てから20時間超えくらいだろうか。
あれからも麻酔は上手く効かずで、
2回目の和痛を希望するが、
痛みは完全に消えなかった。
でも、どんな時でも、
ちゃんと、深く呼吸していた。
精一杯、頑張ってた。
弱音を吐いても、しっかりしてた。
梨絵は、強いと思った。
ホント、ホント、頑張っていた。
自分が代ってあげれない、なんて今更で、
そんな自問自答して
勝手にネガティブになるんじゃなく、
目の前で頑張る梨絵の後ろ姿を、
ちゃんと見なきゃと思った。
見るなと言われても、ちゃんと聞いて、
この命懸けの努力から
目も耳も逸らしちゃいけないと思った。
そしていつか、
子に話してあげたいと思った。
自分自身も、忘れてはいけないと思った。
29日 10:00〜11:00
無痛により陣痛が弱くなり、
促進剤を打つことになる。
徐々に、梨絵の痛みのピークが増す。
陣痛の数値は20~60くらいだった。
無痛で和らげ、促進剤で誘発のサイクルは、
もう、見ているのが苦しかった。
29日 12:00~13:00
保身剤や子宮を和らげる注射などに耐え、
子宮口が9cmまで開く。
陣痛は今までにも増して痛い様子、
触れると余計に痛みを感じてしまう為、
心拍で、触れてしまわないように努力した。
助産師さんも駆け付けてくれて、
遂にお産へと進む。
29日 13:30
一旦、外で待機になり、嫁を待つことに。
中からは、
痛い、という言葉と、
暴れている様な物音だけが聞こえ、
不安の中で、指示を待った。
29日 14:00
途中からの立ち会いとなり、
入った時には既に
梨絵は酸素ボンベを付けており、
今から切開をしますと、説明を受けた。
カテーテルで尿も取った後だったらしい。
助産師さんや副院長先生が
入れ替わりでお腹を押し、
下から吸引する形で、
お産のラストスパートが始まった。
力強くお腹を押す先生と、
必死に力を込める嫁、その光景は、
凄まじかった。
何度も何度も、嫁は、必死に、力を込めた。
何度も何度も、挫けず、耐えて、
何度も、何度も、頑張ってくれて、
力強く、たくさん、いきんで、
36時間の陣痛に耐えて、
2019年4月29日14時55分
2922gと、大きめな
男の子を産んでくれました!!!
産まれた瞬間、涙は出ず、
自分はまだ、現状を把握してなかった。
ゆっくり、梨絵の手を握った瞬間に、
涙が溢れた。
抱いた子は、
もう、それはもう可愛いかった。