キリスト教の教え4 神による人類救済計画④
「イエス・キリストの系図」には「ラハブ」も入っている。彼女は、モーセの後継者ヨシュアがエリコ攻略のために遣わした斥候をかくまった女性だが娼婦。また「ルツ」は美しい嫁舅の物語「ルツ記」に描かれる心優しい嫁だが、ユダヤ人が忌み嫌う異邦人(モアブ人)。このようにユダヤ人にとっては、ひた隠しにしたい異邦人の女性もイエスの系図には含まれる。そしてもう一人、イエスの系図に含まれる問題の女性は「ウリヤの妻」だった「バト・シェバ」。ダビデの妻になるが、もともとはダビデ王の部下ウリヤの妻だった女性。なぜ、彼女がイエスの系図に含まれることが問題なのか。
ダビデと言えば、ミケランジェロ作「ダビデ像」をはじめ、石投げ器ひとつで巨人ゴリアテを倒し、エルサレムを聖都に定め、40年間全イスラエルの王として君臨した英雄のイメージが強い。当初は、神からも次のように祝福されていた。
「あなたがどこに行こうとも、わたしは共にいて、あなたの行く手から敵をことごとく断ち、地上の大いなる者に並ぶ名声を与えよう。・・・・あなたの家、あなたの王国は、あなたの行く手にとこしえに続き、あなたの王座はとこしえに堅く据えられる。」(「サムエル記下」7章 9、16節)
しかし、そんなダビデも罪を犯す。家臣ウリヤの妻バト・シェバと姦通し、妊娠させてしまう。それだけではない。不倫の子が自分の子だとばれないように、戦場からウリヤを召喚し、バト・シェバと床を共にさせようと画策。ところがウリヤは戦場の主君や仲間を思って家に帰らず、王宮の入口で眠る。そこでダビデは次の策略を考え、ウリヤの上官に書状を送る。
「ウリヤを激しい戦いの最前線に出し、彼を残して退却し、戦死させよ」(「サムエル記下」11章 15節)
ウリヤは死に、バト・シェバは男子を出産。もちろんダビデの行いは、主の御心にかなわず、主はナタンをダビデのもとに遣わされる。そしてナタンはダビデを叱責。ダビデは「わたしは主に罪を犯した。」と己の罪を悔いる。しかしナタンはこう言う。
「 その主があなたの罪を取り除かれる。あなたは死の罰を免れる。しかし、このようなことをして主を甚だしく軽んじたのだから、生まれてくるあなたの子は必ず死ぬ。」 (サムエル記下 12章 27節)
バト・シェバが産んだ子は7日目に死亡。その後も、ダビデの異母兄弟たちは骨肉の争いを続ける。異母兄アムノンは、異母妹タマルを犯し、捨てる。それを知ったタマルの兄アブサロムはアムノンを殺害。その後、アブサロムはダビデに反乱をおこし、ダビデをエルサレムから追放する。しかし、彼もダビデの勇将ヨアブによって刺殺される。息子の死を知ったダビデは泣き叫ぶ。
「ダビデは身を震わせ、・・・・泣いた。・・・・『わたしの息子アブサロムよ、わたしの息子よ。わたしの息子アブサロムよ、わたしがお前に代わって死ねばよかった。アブサロム、わたしの息子よ、わたしの息子よ。』」(「サムエル記下」 19章 1節)
そして晩年のダビデは、「衣を何枚着せられても暖まらなかった。」(列王記上 1章 1ー2節)という。家来たちが、若い処女を探してそばにはべらせ、暖かくなるようにふところに抱いて休ませようとしたが効果はなかった。
新約聖書にはイエスを「ダビデの子」と呼ぶ箇所が17箇所ある。そして偉大なイスラエル王国建設者ダビデ王もやはり重い罪を背負っていた、かれも人間なのだから。そして神は、自らは神聖で罪の汚れひとつない御子に、罪の汚れを持つ人間の立場を持たせた。神からの罰を罰として本気で受け、死の苦しみを本気で受けて本気で死ぬ者にされた。彼に人間の全ての罪と不従順からくる罰を全て負わせて死なせ、その身代わりの死に免じて人間を赦すことにするために。
「キリストは、わたしたちのために呪いとなって、わたしたちを律法の呪いから贖い出してくださいました。」 (「ガラテヤの信徒への手紙」3章 13節)
(アレクサンドル・カバネル 「タマルとアブサロム」)
アムノンに犯され 捨てられた妹タマルと アムノン殺害を決意する兄アブサロム
(ダビデの妻と子供たち)
(ニッコロ・デ・シモーネ 「アブサロムの宴会」) アムノンを殺害するアブサロム
(ミケランジェロ 「ダヴィデ」)
(セバスティアーノ・リッチ 「バト・シェバ」)
遠くからバト・シェバの水浴を眺めるダビデも描かれている
(レンブラント 「バト・シェバ」)ダビデからの呼び出しの手紙を読んで葛藤するバト・シェバ