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一号館一○一教室

【創作】昭和ママは平成っ子をチャリに乗せて令和まで行く

2019.04.30 15:00

「お母ちゃん」

後ろに座る長男がおもむろに呼びかけてきた。

「はい!?」

つい返事に力が入る。叫んでしまったのはイラついているからではなくて風の音に掻き消されてしまわないようにするためだ。



いや、本当はちょっとイラついている。

昨日のうちに今日の夕飯の分の買い物も済ませておくべきだった。春の嵐にあおられながら、3人乗り自転車の、前に13㎏の2歳児、後ろに18㎏の6歳児を乗せて、必死に踏ん張ってペダルを漕ぐ羽目になろうとは。

「明日も春らしい陽気です」という天気予報士の言葉を鵜呑みにして、「買い物は明日でいいか~」と怠けた昨日の自分が憎々しい。向かい風が強すぎてなかなか前に進めないため、いつもなら5分とかからないスーパーが木星のように遠い。

てかさぁ、晴れですが風は強いですよ、くらい言ってくれてもよくない?

さよならだけが人生だ、花に嵐の例えもあるぞってか?天気予報士的には風が強いのは想定内で「春らしい」ということなのか。

オッケーぐるぐる、「春らしい」の定義を教えて。

ん?なんの話だっけ?



「お母ちゃん」

再び呼びかけてくる長男に、今度は少し穏やかに答える。

「なあに?」

「お母ちゃんもさぁ、いつか死ぬ?」

「はい?」

「ぴゃー!おかーちゃーん!」

狭い路地から一際強い風が吹いてきて、2歳児が奇声をあげる。思わず自転車を止め、地面に足をつけてやり過ごす。

いつか死ぬか、とな?おいおいなんだ藪から棒に。てかこれ、今この状態でする話か?

体勢を立て直し、再びペダルを漕ぎだす。



小学校に入ったばかりでいろいろとナーバスになっているのだろうか。それとも毎日食ったり食われたりする恐竜のDVDを見ているせいでそんなことを考えたか。いやもしかしたら、この間彼が生まれる前に亡くなったひいおばあちゃんの話なんかしたからかもしれない。

「まあ、そりゃいつかはね」

なるべくあっさりとした口調でそう返すと、ふうん、と納得したような不満そうな声で彼は答える。

おっと、言い方がちょっと冷たすぎたか?

いやでも、いつか死ぬのは事実だしこんなところで妙に感傷に浸られても困る。

…ただ本音を言えば、子どもができてからというもの、心持ち的にわたしはもうすでに死んでいる。ひでぶである。



あの日、長男が生まれた日。神様のスポットライトが自分の腕の中にいる小さな存在を照らしていると、わたしは確かに感じたのだった。それはとてもスピリチュアルな感覚で、その瞬間、わたしは生命の真理みたいなものを理解した気がする。「このためにわたしは生きていたんだ」と。

わたしは安心して、人生の主役を降板することにした。もう舞台上で他人と張り合う必要もないし、喝采を浴びた人に嫉妬することもされることもない。平和だ。あの世のように。

「あかー!」

と2歳児が叫ぶ。信号は敵だ。ブレーキを強く握る。



今は裏方として主役たちを舞台袖から見守っているような状態だ。でも、いずれ必要なくなれば観客席に降りざるを得ないし、そのうち劇場からも追い出される日が来るだろう。

でも。

「でも、それはあんたがもっと大人になって、例えば結婚して子どもができてとか、お母ちゃんがばあばとかひいばあちゃんになった後の話だよ」

「ああ、うん」

気のない返事が渦を巻いて、路肩で淀んだかつての桜の花びらを舞い上げていく。倒れないように再び手と足に力を込める。ふくらはぎがつりそうだ。

でも。

「でも、そうならないように、頑張る」

「おかーちゃんばんがれー!」

2歳児の雄叫びに、6歳児は笑う。

「こうちゃん、"ばんがれ"じゃなくて"がんばれ"だよう!」

「あおー!」

兄の指摘など我関せず、信号の色を嬉しそうに2歳児が教えてくれる。

「よし、行くよー!」

ペダルを力いっぱい踏んで漕ぎだした自転車を、また風があおる。よしよし、負けてたまるかよ。

そうならないように、頑張る。今度は自分に向けて言う。

わたしはまたハンドルを強く握る。



※この創作はフィクションですが、7割は実話です。