聖都陥落7-オスマンを阻んだドラキュラ
2019.04.29 09:15
コンスタンチノープル陥落の衝撃はヨーロッパを駆け巡った。特にイタリアは、地中海貿易の強力なライバルが出現して、都市同士で争っている場合ではなくなった。こうしてイタリアの平和と均衡が訪れ、フィレンツェなどの繁栄の基礎となるのである。
またヴェネツィアは、オスマンと直接敵対した結果、貿易が途切れ新しい方向を模索せざるを得なくなった。1456年メフメト2世はベオグラードを包囲、しかしイタリアの支援を得てまたしても立ちはだかったルーマニア出身の勇将フニャディ・ヤーノシュに敗退し、侵攻は頓挫した。
フニャディ・ヤーノシュの軍の主体は実はフスの残党であり、彼はフス戦争で、ヤン・ジュシカの革新した戦法を受け継いで勝利したのである。例の四輪戦車も取り入れている。この勝利によって彼は名声を高め、この記念日を教会は祝うようになった。
アルバニアではスカンダル・ベグが抵抗した。そしてワラキアで抵抗したのがあのドラキュラ伯爵ことヴラド3世である。1462年の戦いではメフメト2世の首を狙って夜襲を敢行。そしてその後スルタンが見たのはオスマン兵の串刺しの林で、彼は戦意を喪失して帰還した。だが彼らが死去するとオスマンに臣従した。
ドラキュラ城として知られるブラン城だがヴラド3世はここに住んではいなかったようだ