御大礼(即位礼・大嘗祭)について
「御大礼(ごたいれい)」とは、新帝陛下が斎行される、即位礼(そくいれい)、大嘗祭(だいじょうさい)、大饗(だいきょう)を中心とする即位儀礼の諸儀の総称です。
即位礼・大嘗祭・大饗
「即位礼」は、新帝が皇祖天照大御神に皇位の継承を奉告され、高御座にのぼられて国民に、また海外諸国に対して即位を宣言され、国民の代表や海外の賓客から祝意をお受けになる盛大な儀式です。古代の即位礼は、大陸の儀式の形態をうけて成立したといわれます。
「大嘗祭」は、日本の古代の即位に伴う儀式の形態をそのまま残しているとされます。『延喜式』では践祚大嘗祭と称され、ただ一つ大祀としての扱いをうけており、皇室・国家の至高の重儀とされてきました。
天皇陛下は、毎年秋に新穀をまず伊勢の神宮に捧げられます(神嘗祭)。ついで宮中において新嘗祭を斎行されます。新穀による御饌を天照大御神・天神地祇に親しく捧げられ、また、陛下御自身も神々とともに召し上がられる、皇室祭祀中の最も大切な祭儀です。大嘗祭は、即位後に初めて行われる新嘗祭で、悠紀殿、主基殿の大嘗宮を建て、悠紀国、主基国で作られた米を御饌として、丁重なお祭りが行われます。
大嘗祭の翌日から「大饗」が行われます。古例では下の卯の日(中の卯の日)の大嘗祭に続き、辰の日の節会、巳の日の節会、さらに午の日の豊明節会と三日間の宴がありました。「登極令」では二日間とされています。大嘗祭の盛大な直会と申すべきもので、大嘗祭に供され、陛下も召し上がられた白酒・黒酒のおさがりを、国民の代表としての参列者が賜り、国を挙げて新帝陛下の御即位をお祝い申し上げ、天皇と国民とが一体である国柄を実感させていただくものです。
稲作の神話と新嘗祭
皇室の祖先神である天照大御神は、高天原で御みずから天狭田、長田といわれる斎田に稲を植えられ、秋には新嘗を聞こし召し、その神御衣を織り、お祭りをされています。さらに、瓊瓊杵尊が高天原より葦原中つ国に降臨されるにあたり、「吾が高天原にきこしめす斎庭の穂をもって、また吾が児にまかせまつるべし」と神勅を下され、皇孫に斎庭の稲穂をお授けになりました。以来、歴代の天皇は新嘗祭を欠かさず続けられ、御代ごとに大嘗祭を斎行し、国民の平安を祈ってこられました。
新嘗祭は、天皇のお祭りであるのみならず、古くから国民の生活の中に深く根を下ろしています。『万葉集』(巻十四、相聞歌、作者不詳東歌)に、「誰そこの屋の戸押そぶる新嘗にわが背を遣りて斎ふこの戸を」と詠まれるなど、古代の新嘗は家毎に、氏族毎に行っていたとされています。
新嘗は新穀の収穫感謝だけでなく、種籾が来春に向けて増殖する生命力を宿すように、忌み籠もりをして自らの生命を更新する行事でもあります。こうした意味での行事の内容は、今日ではむしろ正月の行事になっているといえます。お餅を食べて年取り(生命の更新)をするのは、新穀を天皇陛下みずから召し上がり、皇祖神の恩頼をいただくという新嘗祭と根の部分で繋がっていると理解できます。そして、鎮守様、氏神様の新嘗祭、秋祭りは、家庭の祭りを総まとめにするものです。
御一代一度の大嘗祭
「大嘗祭」は、新帝が即位後、はじめてお祭りされる新嘗祭を、特別に大祀として厳粛盛大に行うものです。天照大御神の御手振りを今の世に実現し、国の命も更新されていくという神聖な祭儀です。例年の新嘗祭と異なり、全国から二箇所の国(明治以降は道府県)「悠紀国」「主基国」が選定されます(明治には山梨・千葉、大正には愛知・香川、昭和は滋賀・福岡、平成は秋田・大分、令和は栃木・京都)。それぞれの府県内に斎田(悠紀田、主基田)を定め、その耕作者の大田主を中心に育成した新穀が大嘗祭の御饌として献納されます。恒例の新嘗祭は宮中の神嘉殿で行われますが、大嘗祭では特別の神域が定められ、悠紀殿、主基殿を始めとする大嘗宮が造営されます。大嘗宮は古代そのままの工法で建てられる素朴な宮殿で、黒木造という皮のついたままの木材を柱や棟とし、壁や扉はい草を編んだ近江表(畳表)を張り、床は竹でむしろと近江表を敷き、屋根は茅葺きという質素なものです。
大嘗祭の翌日からは直会の祝宴「大饗」が催されます。この儀によって、新帝陛下と国民は一層の固い絆で結ばれることとなります。
御代替といううるわしい時に際会し、一連の儀式への理解を通じて、最高祭主としての天皇をいただく日本の国柄に改めて思いを致し、世界に誇る文化伝統を自覚し、国民ひとしくこの盛儀を後世に伝えて参りたいと存じます。その上において、御代替の皇室の諸儀式、及び全国神社で営まれる祭儀を通じて、さらには各家庭おける神棚の遙拝を通して、皇室と国民の一体感を醸成することが肝要と考えられます。