平成から令和へ
平成の31年。
31年間、日本に、社会に、色々なことが起こりました。
今日は朝から、テレビでは社会のことが。SNSでは個人のことが語られており、それらを楽しんで見ている一日となっています。
昭和の終わりに生まれ、現在までのほとんどを平成で生きた私はというと、恥ずかしながら平成25年頃までは幸せ感度の低い日々だったように思います。
一番大きな出来事は、病気で5年の余命宣告を受けた2014年と、2016年の結婚です。
私は病気になってから幸せを感じることが多くなり、少しでも多くの時間を笑っていたいと思いました。
実際にそれからの日々は家族や友人と関わる時間を幸せに思い、幸せ感度が高くなったように思います。
自身が今の環境に幸せを感じ、この生活を大切に思うまでには、様々な経験や悩みの中で混沌としてした時期もあったように思います。
この混沌とした時期に様々なことを学び、行う"修行のようなもの"が、幸せや自立へと繋がっているのかもしれません。
私の周りに聞く幸せ感度の低い人の特徴は、人への依存心が高かったり、人との関係性に怒りを感じている人が多いように思います。
誰かに何かをしてもらうこと
誰かが助けてくれること
優しい言葉をくれること
愛してくれること
これらは決して当たり前のことでも自動的に発生することではなく、自分の行いや自分の発する言葉によって発生し継続するものだと思うのです。
ですから、私は人と関わる時の言葉選び、自分のあり方にはこだわりを持って気を使います。
私の自己紹介は定数時間で終わるパターンを持っていて、持ち時間によってそれを繰り返します。
その代わりに私に関わる人たちをいかに紹介するかを大切に思い、ブラッシュアップします。
そして、紹介したいと思う人以外へのこだわりはほとんどありません。
人と人との繋がりは、ついたり離れたり、諸行無常を常と思っていて、その事に抗わないことを心がけます。
いてくれることをありがたく思い、依存しないことによって離れたって別に良いのです。
離れた人に関しては、その多くは自分がその人より条件的に不幸になった時には大抵戻ってきます。
私は病気になってから、再度連絡を貰う人がとても増えました。
「条件的に不幸」になったことを自分が楽しみ、その人たちより幸せだったとしたらどうなるのだろう。
なんだか楽しい心理戦です。
私はその心理遊びが好きなのです。
疲れたら自分も離れたら良いのです。
自分が幸せであるのは条件ではなく心と行動だ
これからの令和の時代は文化や美しさを大切にするという意味が込められています。
私は日本で過ごしている今を大切にし、自身の人生を美しく思えるよう過ごしたいと思っています(⁎ᴗ͈ˬᴗ͈⁎)
皆様ひとりひとりの令和の時代も、楽しみですね✩°。⋆⸜(* ॑꒳ ॑* )⸝