意味と価値
最近読んだ中で読み応えのあった本。
タイトルそのままの内容です。
面白そう!と食いつくタイプ(私も含まれる)もいれば、このむきだしな表現に思わず目をそむけたくなる、拒否反応を示すタイプもいることでしょう。
読んでみて、かなり面白い(interesting)と思いました。
論旨の構成もわかりやすく、1冊をとおしてきれいに話がつながりながら展開していきます。なんとなく、ピアノで「1曲のまとまり」を意識するのと似ていてこの本は「1冊を筆者の解釈でしっかりまとめた」という感じを受けました。
(なんでもピアノに結びつける私の変なクセ(笑))
内容の詳細説明は、読書ブログではないので控えますが、大きな問いに対して多角的な視点からとらえ(他者の意見を紹介しつつ)ながら筆者の意見に結ばれていくので「きっかけ」として十分な価値があるのではないかと思います。
それはさておき、なぜこのピアノブログでこの本を出したかというと、この本に関連して2つ言いたいことを思いついたからです。
☆文中に例として記されていた「ピアノなどのお稽古事の突破」について
ピアノや茶道などのお稽古事。最初の1~2年は誰でも楽しい。でも、2年を過ぎたあたりから行き詰りを感じてくる。そこで投げ出さずに続けるといずれ「突破」がやってくる。(だから人生の意味の答えを探すのもある程度時間が必要という話でした)
やっぱりそう?^w^
3年目の○○ ってよく言いますが、初めはなんでも新鮮で楽しいんですよね。簡単にできることからできるようになって。でも1~2年も経てば、簡単に身につけられることはひととおり終わってしまって、「簡単にはいかないこと」が目の前に山積みになってくる。ピアノでいうなら苦手な箇所(私だったら薬指と小指が弱いとか)がなかなか克服できずに行き詰り、頭打ち感を感じる・・・とか。
で、思ったのですが、大事なことは「その簡単にはいかないことをなんとか克服しようとあがくこと」よりも「続けること」なのかな、と。もちろん、克服に向けてあれこれもがくわけですが、それが「辞めるきっかけ」になるのなら何かボタンを掛け違えているのかもしれない。どうもがくかは完全なる自由でどの方法でも構わないのだけど、もがくのを止めてしまうとそこで途絶えて話は終了。あれこれもがくことすら楽しんで(って楽しくない気持ちの方が強いのだろうけど、そんな中にも何かを見出して)続けていくのが「道を究める」ってことかしら、なんてね。
喫茶店でランチ食べながら、そんなことを考えました。
☆ピアノを弾く意味はなんだろう?
意味はあるのかないのか。自分にとっての意味はあるけれど、他の人にとっての意味はない、としたら、はたしてそれは意味があるのか?そもそも意味とは何か。
とか、ちょっと池田晶子(風)を気取ってみたりして。
難しい話は置いといて、きっとそれぞれ「自分にとって意味がある」からやっているのだと思う。特に大人は。親か家族に「やりなさい」って言われてやっている人は少ないでしょうし。私はピアノに関しては「やる気がある状態」の期間が長い方だと思いますが、それでも一つの山やポイントが過ぎたときに「さて、どうしよう?何しよう?」と空白を感じることもまれにあります。そういう「モチベーション」が低くなったとき、あらためて「自分にとっての意味」を考えて言葉にしてみるとまたやる気が復活してくることが多いように思います。