天皇即位の礼に女性皇族が参列なされないのは女性差別なのか?
先日、即位の礼つまりは剣璽等承継の儀即ちけんじとうしょうけいのぎが執り行われた。
皇后様内親王様含め、女性皇族の参列が無かったことに女性差別の問題が、特に海外メディアで指摘されていたりするのはいつものことなのだが、実は、是は女性差別でもなんでもない。
女性皇族が参列し無いし、神社の神主も基本男しか駄目なのは、そもそもが天照太神が女性神だからである。
神道で謂う皇祖皇宗というのは要するに天照太神で、此の神様は地上を普く照らす光り輝く女性神で、日本で神様の中心といえば此の《高光り、天傳う[あまづたう]》女性なのである。即位式というのは、基本的に三種の神器の継承の式を謂う。三種の神器は国を治める為にその女性の神様に自分の嫡子としての承認として賜れた物だから、その方を敬して女性を敢えて排除する。是は陰陽の考え方に基く。
女=陰を祀るべきなのは男=陽。
だから、論を拡げて、それをトランスジェンダーに対する差別だといわれれば正にそうなのだが、間違っても女性差別とは言えないし、そもそも陰陽思想にトランスジェンダーのことまで想定されては居無い。
女性を敬して祀る、その敬し方祀り方の差異であって、そこに女性への差別は無い。
第一、一番えらい神様は女で、即位式とは女に皇孫として認めていただく儀式であるともいえるのだ。外国メディアに何か言われたら、あたふたせずに普通に、一番偉い神さまは女なんです。それでも女性差別なんですか?と言えば言い。
もっとも、日本社会に、…というか、企業労働の現場に現実問題として女性軽視の問題があるのも又事実であり、それは別に社会問題として解消努力さるべきである。とはいえ、そもそもの問題は、社会地位というものが会社で働くという事に偏重し過ぎているほうが問題なのでは無いか。会社でポストを得る事が社会的地位と言うのか。それが女性の唯一の地位向上か。じゃあ、女性部長は社会的に偉いが、子育て上手の専業主婦は社会的地位が低いのか。ということは働くことだけが人間の価値なのか?そもそも働く事が偉いことだから働くのか。それは人間の人生の目的そのものなのか?…まさか。出産子育て教育の地位が低いこと自体が問題なのでは無いか。
ところで、天照太神は陰陽でいうと、女だから陰である。その陰の神様が、太陽神つまりは陽にして陽の光の神様であるということに、古代の、中国陰陽道から言えば非常に倒錯的な両義性があることが、日本神道の固有の美しさだと私は想う。
光は中天にあって、陰陽両方ともに普く光輝かせながら、それでも単なる女なのである。なかなか考えさせる倒錯性だと想う。そんな積極的な倒錯性が、たとえばアメリカにあるのだろうか?
附記。
女性天皇問題と言うのもあるが、天皇が女であらせられようが男であらせられようが、そんなものは皇族ご一家に考えていただければいいので、ましてや政治家ごときが云々するべきものではない。敬してご家族のご決断に随えばいいのである、と、私は想う。
御代の御栄華を謹んでお祈り申し上げ奉る。