北欧神話における原初の殺害
必要があって、北欧神話の概説書として定評のある、谷口幸男『エッダとサガ―北欧古典への案内』(詳細は下のリンクを参照)を部分的に読んだ。そのなかで興味深い記述を見つけたので、今回はそれについてメモしておきたい。
谷口は、北欧神話における宇宙創造をギリシア神話におけるそれと比較している。次のごとくである。
…全体としてみるとき、エッダ神話はあくまで豪快にして悲劇的である。荒々しくて暗い。ギリシャ神話の優美軽快さとははっきり特質を異にしている。…
…ギリシャ神話では、ヘ[ー]シオドスの『神統記』によれば、はじめにカオス(混沌)が生じ、次いでガイア(大地)ができ、エロ[ー]ス(愛)が生れる。そのガイアがウ[ー]ラノス(天)を生み、エロ[ー]スの活動により両者が抱擁して次々と万物を生む。これは人間の結婚の営みの投影と考えて差し支えないであろう。
これらの天地創造にくらべるとエッダ神話のそれは、北欧の自然とゲルマン人の民族性を実によく反映しているように思われる。いかにも火と氷の国アイスランドを思わせるような炎熱のムスペルスヘイムと寒冷のニヴルヘイムの対立。その極端な対立的要素のぶつかり合うところから巨人族の祖ユミルが生れる。…オーディンたちがこのユミルを殺してその肉体から天地をつくる。まさにはじめに行為(タート)ありき、いや、殺しありき、といわなければならない。殺伐な話である。ギリシャ神話が前にみたように平和な営みからはじまるのにひきかえ、ゲルマン神話では宇宙創造のはじめに殺害がある。
(谷口『エッダとサガ』28頁)
比較のポイントは、宇宙創造のプロセスの違いだ。ギリシア神話では結婚と性交渉が中心にあるのにたいし、北欧神話では、オーディンたちによるユミルの殺害が契機となっている。
しかしながら、ギリシア神話においても、暴力が皆無というわけではない。谷口は、ヘーシオドス『神統記』について、ガイアとウーラノスの相思相愛で話を止めているが、じつはこのすぐあとには、クロノス(ガイアとウーラノスの子)によるウーラノスへの暴力行為が描かれる。前者が後者の性器を切り取るという、あのよく知られた話だ。
ただ、ギリシア神話の殺害物語で特徴的なのは、明確にフロイト的(エディプス・コンプレックス的)パターン―「息子が父親を憎む」パターン―をもっている、ということだ。クロノスは、「殺しをしたかった」のではなく、「父親が憎かった(ゆえに葬った)」のである(もうひとつ付け加えると、クロノスの行動の直接の動機は、「母親への援助」である)。これにたいして、北欧神話で描かれるのは、「赤の他人の殺害」―ユミルとオーディンたちのあいだに血のつながりはない―であり、これは「殺し」自体が目的になっているように思える。もし、(フロイト理論の)「親族間のトラブル」ではなく、「殺害への欲望」に力点が置かれているとすれば、北欧神話は、やはり、谷口のいうように、「豪快にして悲劇的」で、「荒々しくて暗い」のかもしれない。
僕は以前から、神話における「暴力」の問題に興味をもっている。北欧神話の「ユミル事件」についても、引き続き調査をしていきたい。