「宇田川源流」 令和元年ということに関して
「宇田川源流」 令和元年ということに関して
さて令和元年である。
5月1日、その初日に書けばよいのであるが、毎年のこととして、私は誕生日に何もしないということであり、その後京都府亀岡市に出張していたことから、連休明けにこの宇田川源流を始めることにした。当然に、今回は「令和」になったということからまずはこのブログを始めてゆきたい。
新天皇陛下が「剣璽等承継の儀」
新天皇陛下は1日午前10時半ごろから、皇居・宮殿「松の間」で、国事行為の儀式「剣璽等承継(けんじとうしょうけい)の儀」に臨まれた。皇位の証しとされる剣と璽(まが玉)や天皇が国事行為で使う印章の「御璽」と「国璽」が、新陛下の前に用意された台の上に侍従によって安置された。おことばはなく、新陛下が剣璽などを持った侍従らを伴って退出し、儀式は5分程度で終了した。
2019年05月01日 10時37分 毎日新聞
https://news.nifty.com/article/domestic/society/12159-0501m040041/
さてまず元号が変わった。私に取っては昭和から平成に代わったことも経験しているのでこれで二回目であるが平成になった時は、事前にその時期がわかっていたわけでもなく、また昭和天皇の崩御に従って、日本全体が喪に服していた状態であったことから、めでたいというような感じではなかった。その意味では、平成天皇が上皇に即位されたのちに、今上陛下が即位されていることから考えると、今回は「祝賀ムード」だけで何も大きなことはなかった。
さて、そもそも「元号」とは一体何であろうか。
大辞林によると、次のような定義になっている。
げんごう【元号】
年に付ける呼び名。中国では漢の武帝の時に「建元」と号したのを最古とし、日本では645年の「大化」がはじめとされる。古くは天災・事変・祥瑞・即位などによって改めたが、明治以後一世一元とされた。現在は1979年(昭和54)制定の元号法により皇位の継承があった場合に限り元号を改めると規定されている。年号。
<以上抜粋>
元号に関しては一定のルールによってきめられている。『昭和大礼記録(第一冊)』によると、一木喜徳郎宮内大臣は、漢学者で宮内省図書寮の編修官であった吉田増蔵に「左記の五項の範囲内に於て」元号選定にあたるように命じた。
・ 元号は本邦はもとより言うを俟たず、支那、朝鮮、南詔、交趾(ベトナム)等の年号、その帝王、后妃、人臣の諡号、名字等及び宮殿、土地の名称等と重複せざるものなるべきこと。
・ 元号は、国家の一大理想を表徴するに足るものとなるべきこと。
・ 元号は、古典に出拠を有し、その字面は雅馴にして、その意義は深長なるべきこと。
・ 元号は、称呼上、音階調和を要すべきこと。
・ 元号は、その字面簡単平易なるべきこと。
なお歴史的には、「他国でかつて使われた元号等と同じものを用いてはならない」という条件はなかった。異朝でかつて使われた元号を意図して採用した例すらある。例えば、後醍醐天皇の定めた「建武」は、王莽を倒して漢朝を再興した光武帝の元号「建武」にあやかったものであった。また、徳川家康の命によって用いられた「元和」は、唐の憲宗の年号を用いたものである。
さて、日本国内において「天皇制に反対する」という立場の人々がいるが、その人々が「西暦」を使うことを推奨している。しかしそもそも「西暦」とは同じ大辞林の定義によるとこのようになっている。
せい‐れき【西暦】
キリストが誕生したとされる年を元年とする年代の数え方。西紀。
<以上抜粋>
さて、日本人が日本の国家において「日本の暦」を使うことなく「キリスト教暦」を使うということ自体があまりにもおかしな話であり、なぜ日本の暦がダメで西暦ならばよいのか、まったく理解に苦しむ。このような主張をしている人々が、「日米安全保障反対」などといっていること自体に、歴史に関する無理解と矛盾を感じるのは私だけではあるまい。ちなみに、「継続性」を重視するのであれば、日本の場合神武天皇即位以来の年限をしめした「皇紀」という年数の数え方が存在する。何故皇紀を使わずに、西暦を推奨するのか全く意味が分からないのである。ちなみに、戦前は皇紀をしっかりと使っていた。皆さんがよく知る「零式艦上戦闘機」いわゆる「ゼロ戦」であるが、この「ゼロ」は海軍が皇紀2600年に正式採用したことから、「ゼロ」という単語になっている。この前年に、正式採用された艦上爆撃機は「99式艦上爆撃機」というのである。もちろん皇紀2599年であるからに他ならない。
さて、現在のように「受験勉強」がある場合は、どのことが先に起きたかということを試験されるので、当然に西暦など順番、紀伝体に置き換えられていた方がよい。しかし、実際の歴史は、そのような順序などは関係がない。「受験勉強が日本人のレベルを下げている」と世界の人々は言うのであるが、まさにその状態の一つが歴史に関する内容ではないかと思うのだ。
自分の国の紹介をしっかりとできない
自分の国のことを外国人に説明できない
自分の国の立場を他の国の人に話すことができない
いずれも、日本人のマイナスのイメージなのである。そのようなマイナスのイメージは、ま差に日本人が日本人のことを知らないということから始まっているのである。
日本人は日本人のことをしっかりと知らないし、また日本人が「事なかれ主義」から「日本人をだます」または「ごまかす」のであり、そのウソが言うの間にか「真実」であるかのようになってしまい、その内容がいつの間にか自分たち自身が勘違いしてしまい、そのうえで、その間違った真実の上に新たな概念を構築して誤解を増幅し、ミスリードをづけるのだ。
あまりこの内容に関して続けたくはないが、たとえて言えば「国連国際政府」などという考えかたはまさにその典型であり、「国連軍に参加しているのであれば良いが、そう腕内ならば憲法9条に抵触」などというような詭弁をいまだに信じているような人には全く分かるはずがない。もしもこのことに疑問があるならば、「国際連合」の訳文がなぜ「UN」なのかをよく考えてみればよいのではないか。
さて、元号に話を戻そう。
日本は、このように645年、皇極天皇四年の「親政」以来、中国の政治を模して「元号」を使い、その時には「大化」と付けた。元号をつける理由は、そもそも、日本の天皇は「暦を司る神」とされ、「大国主命より受けた日本国および天上界の三帝五皇より託された地上界の空間を支配するだけではなく、黄泉国とのつながりを示す時間軸までも司る」ということを意味しているのである。こういうことを言うと、一部の反天皇制の人々や、排他的一神教の人々は非常に反発を覚えるようである。彼らは実際に神は死なないと思っているし、神は人間の形をしているはずがないとも思っている。そのために、日本の神の存在が、彼らにはわからない。もっと言えば、日本人の神の形が見えないという感じになるのである。
まあ、このことをすべて今回でわかることはないと思うが、なぜ日本に天皇が必要な中。なぜ日本位元号が必要なのか。なぜ日本人は、元号が変わると喜ぶのか。
それが日本人なのである。
そして,それが日本人の性質なのである。
それを、これから、時間をかけてこの「宇田川源流」で説明できたらと、思う。