意識による現実創造とパートナーの役割 その1
意識が現実を作るって聞いたことはありませんか。
そして、表面的に願ったことが実現してるわけでもないのも、
誰でも経験していること。
じゃあどういう仕組みになっているのか。
この辺りのことを
最近妻が熱心に研究していて、
よく話し込んでいるのでした。
とてもおもしろいので何回かに分けて
この話をしようと思います。
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さて意識っていうのは、なんというか、
現実創造のエネルギーを動かせるものなんだけれど、
これを自覚的に意図的に使いこなすっていうのは、
ほとんどの人にとって簡単なことではない。
僕も、仕組みはけっこう説明できても、
使いこなすには程遠い。( ´∀`)
だってその創造のエネルギーを動かす
意識というものは、たいてい無自覚に働いているから。
記憶にないくらい小さい時のことがきっかけで、
無自覚に創造しているから。
でもそこ見えてくると、
いかに見事に意識が現実を創造しているかが、ちょっと見えてきます。
小さな子供は、無制限な愛を求める傾向にあります。
「いますぐ」あれがほしい、とか、
「私一人だけを」愛してほしい、とか。
そしてそれは、もちろんたいていは得られない。
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たとえば僕の内なる子供(発達初期に傷付いた)は、
「僕が必要としているもの、欲しいものを、
ちゃんと察してわかって与えてほしい」
と強烈に思ってます。
おそらく0歳の時に、
僕は何らか親との関係の中で、それは与えられないのだ、と
学習してしまったようなのです。
僕が必要としているもの、ほしいものをほしいと訴えて、
でも、その通りのものがやってこなかった。
そんなのは現実の世界では、ありふれたことなんですよ。
そうなんだけれどそんなこと、まだ知らない0歳の僕は、
「求めてもどうせもらえない。求めるだけ痛みが増す。
だから求めない方がいい。求めるのはむしろ危険だ。
あるだけで十分じゃないか。」
っていうふうに、自分を説得しました
(もちろん言語的にじゃないんだけれど)。
説得したんだけれど、一方で、ほんとうに愛されているなら、
ほしいものを与えてくれるはずじゃないのか?とも、
どこかで諦めきれずに、なんというか、
怒りというか恨みというかを溜め込んでる。
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アーリートラウマというのは、
こういう、諦めと恨みのセットを心の中に生み出します。
ここでタチが悪いのが、たいていは諦めの方が表面にあって、
恨みがもっと深いところにあること。
だから本人は
「オトナの分別(分別)で諦めている」
って思っている。
でももっと深いところにある
(つまり深く信じている)部分が、
より強力に創造のエネルギーを動かすのです。
つづく