【麻布②】龍土町
2019.05.06 09:13
町名:龍土町
読み方:りゅうどちょう Ryūdochō
区分:総称
起立:江戸期
廃止:1869(明治2)年
冠称:なし
現町名:港区六本木三、五~七丁目、西麻布一丁目、南麻布一丁目
概要:江戸期~明治初年の町名。豊島郡麻布領のうち。元禄年間(1688~1704年)以前に龍土村を「龍土町」と改称。幕府領。『元禄郷帳』の石高は29石余、『天保郷帳』、『旧高旧領』ではともに28石余。『新編武蔵』によれば、町域は「地の大様、東は飯倉、西は青山、北は今井に接し、武家屋敷、寺院境内を隔て所々に跨る」とある。
「龍土」とは、もと海に面した芝愛宕西久保辺に漁師が多く居住した猟人村(りょうどむら)があったが、元和年間(1615~1624年)に猟人村が御料地となり、麻布領内に代地を拝領し移住した際、移住先の村名を「龍土」と改めたと伝える(新編武蔵、備考)。
「龍土村」は、豊島郡麻布領のうち。幕府領。『田園簿』の村高は田1石余、畑23石余、計24石余。その後、次第に町並が増加、『元禄郷帳』、『天保郷帳』、『旧高旧領』には「龍土町」と見える。
1713(正徳3)年、町奉行・代官の両支配となり、龍土町、龍土材木町、龍土坂口町、龍土六本木町、龍土町代地三田古川町の5町に分け、以上5町を総称して龍土町と唱えた。『新編武蔵』には「龍土町在方分」として神明社添地、法庵寺抱地を記す。明治初年、総称の龍土町は消滅。江戸期の各町は麻布龍土町、麻布材木町、麻布六本木町、三田古川町となる。
撮影場所:龍土町(龍土材木町)
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