意識による現実創造とパートナーの役割 その3
その2の続きです。
さて、この過去に傷ついた場面の再創造をやめるにはどうしたらいいか。
今日はその辺りに入っていきます。
この傷からくる再創造というのは、だいたい無意識に創造しているわけなので、
そのパターンにはまっていることに気づくのがまず第一歩。
僕は典型的なのですが、子どもの時に特に親との間で傷ついた記憶ってなかったのですよ。
そういう記憶があれば、ある意味わかりやすい。
でも、そういう記憶がない人ほど要注意で、
自分が無自覚な思い込みによる再創造劇場の中にいることに気づくのは難しいんです。
僕自身に関して言えば、アーリートラウマの知識を得ることが決定的な助けになりました。
発達初期、言語を獲得する前などは記憶にあるストーリーではない。
でも、大人になった僕らは、なんというか、説明・理解できる。
しかもけっこうはっきりしたパターンがある。
それを知るだけでも全然違って見えてきます。
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さてそれで、まあどうにか再創造のパターンにはまっていることに気づけたとすると、
その1で触れたように、そこには恨みのような感情があります。
表面的には、「そうは言ってもしょうがなかった」
「この世界はそんなものでしょ」「親だって人間だからこんなもんだよね」、
みたいな感じで納得した諦めのような感情があるものです。
そしてそれが本当に心底そう思えていたら、
再創造の必要がなくなるので再創造は終わります。
でも、その一見納得したかのような気持ちの奥に、
未消化な恨みや怒りがあるときに、再創造が続く。
同じ状況を創造して、次こそは欲しいものを勝ち得ようとしちゃってる。
僕の例だったら、「僕の小さなサインを丁寧に拾って大切に扱って、
僕の欲しいものを与えてもらえる」っていう
「勝ち」を取りに行こうとしてる。
この時に歪みを生じさせているのは、
ほんとはよくなかったのに諦めたふりをしている、
というウソが入っていること。
ほんとはよくなかった、というその子の痛みが、
しっかりと受け止められていないということです。
その子の痛みを、いま、大人が受け止めてあげる必要がある。
大人になったあなたが、受け止めてあげる必要があります。
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子どもは無制限で完璧な愛を求める傾向にありますが、
成熟した大人の成熟な愛を与えられたら、ほんとうは十分に生きていける。
成熟した愛を与えられたら、無制限に求めることはしなくなります。
僕の場合なら。
「小さなサインを丁寧に拾って大切に扱って、
そうやって欲しいものを与えてはもらえなかった」という痛み。
控えめに求めたたったそれだけすら、与えられなかった痛み。
その痛みを抱えている小さな子供がいたとしたら、どんなふうに関わるか。
例えば、
「ああ、そうだったんだ。それは気づいてあげられなくてすまなかったね。
ごめんね。許してね。」なんて僕は言ってあげてます。
そうすると、初めは内なる子どもは、
「でもちゃんと言ったもん。言ったのに聞いてくれなかったんだもん。」
と泣きじゃくったりします。
「そうだよね。言ったんだよね。気づけなくてごめん。
今また、言ってくれているんだね。言ってくれてよかったよ。ありがとう。」
「前の時は気付けなかったからと言って君のことが大切じゃないんじゃないんだ。
ほんとうに愛してるよ。」
「君が欲しいものは欲しいって言っていいんだ。
できればそれを叶えてあげたいって心から思ってるよ。
僕が聞こえていなさそうだったら、何度でも言っていいし、言ってほしいよ。」
みたいなことを、しっかり子ども側の痛みを感じながら、
何度でも伝えてあげる。例えばそんな風にして受け止めて癒していく。
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僕は物心ついてからは、こういう痛みを親との間で感じたことはないんです。
物心ついた頃にはもう、すっかり諦めてしまっていた。
だからこのパターンが自然なものではなく、
変えられるものだと気づくまでに、多くの時間を必要としてしまいました。
ともあれ、こんな風に自分の中の再創造の主である子どもを癒していくと、
何が起こるか。
それとパートナーとはどんな関係があるのか。
その辺りを次回書こうと思います。