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南江治郎(二郎)のことのは

亡き父を憶ふ

2019.05.06 12:14

【原始と文明の中間に怯える者】より

大正13年1月1日 新潮社発行

装幀 恩地孝四郎

亡き父を憶ふ

私は幼い時からよく父に連られて能樂を見に行つたものです。

亡き觀世元義が京都でまだ片山の姓であつた頃、

『天鼓』を演じたことがありました。

丁度前シテの老人が

背くもおそれ多い帝の勅を受けて、

亡き吾が子の愛翫して居た小鼓をうつ所まで演じたときでした。

身に少しのおぼえもないものを、

老いの手を慄はしながら涙とともに打つ、

ひとうち ひとうちに

ふしぎや、

殿上に侍る名手でさへ鳴らせなかつた小鼓が

さえざえと鳴りわたつたのでした。


あ その時です………

私はふとその翁の能面をぢいつと眺めて

眼にいつぱいの涙をたたへて居る

父の横顔を盗み見たのです。


父は去年、

肌寒い一月の末に亡くなつてしまひました。


此頃になつてわたしは初めて、

亡き父を心から慕ふて居ります。

ひとり書斎に居るときなぞ

たまらなく戀しひと思ふ事もたびたびです。

今になつてあの懐しい幻のやうな幼い日の思出を

繰返せばくりかへすほど、

ゆえしらず胸がこみ上げて來て、

聲を忍ばせて泣き入ることもあるのです。


さうしてまだはつきりと覺えて居る筈の父の顔と、

あの翁の能面とが、

どうかすると同じやうに思はれて

慕はれてならないのです。