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Ride in Setouchi & San-in Day 53 (7/5/19) Yonago Castle Ruins 米子城跡

2019.05.08 09:35

San-in History Museum 山陰歴史館

Yonago Castle Ruins 米子城跡

Iwakura Cho 岩倉町界隈

Temple Street 寺町通り

Kaike Spa 皆生温泉


San-in History Museum 山陰歴史館

城に行く前に知識をつけておこうとこの歴史館に来たのだが、今日は休みの日で閉まっていた。残念。明日は安木に朝早く出発するので来れない。明後日は倉吉に移動するが、時間がありそうなら、出発前に寄ってみようかとも思っている。

Yonago Castle Ruins 米子城跡

あの山に米子城があった。頂上に天守台が見える。(米子藩及び米子城の歴史については山陰歴史館を訪問した際に触れることにする)

今日回った道

枡形門  門跡を中に入ると広い枡形がある。他の城と比較しても結構広い枡形。大きな城であった事がうかがえる。

裏御門跡 二の丸の裏門にあたる。櫓には時を告げる大太鼓があった。

二の丸はテニスコートと野球場になっている。

ここから急な階段を登り本丸へ

階段を登りきると本丸への入り口 番所跡 ここから米子市街も見渡せる。

本丸へは二の丸からもう一つの道があり本丸へは鉄御門(くろがねもん)を通る。

本丸に到着。それほど広くは無い。天守台跡が残っている。礎石もある。4層の天守閣だったそうだ。

ここから臨める景色は今まで行った城の中で一番。写真ではその素晴らしさは再現できないが。米子に来たら、ここに来るべき。

西側は中海と米子港。昨日突っ切ったルート。

東側は大山がはっきりと近くに見える。40年前に森本と共に境港の柳瀬の家に泊まり大山でスキーをした事を思い出した。

本丸から二の丸へ水手御門を通る。ここは出山付近にあった船小屋へ通じていた。

本丸下をぐるっと回る道が水手御門の手前にあり、先程通った番所に通じる。途中に遠見櫓がある。

もう一度水手御門に戻り下る道を行く。途中で2手に分かれる。左の道を選ぶ。

お遍路道になっていて、四国88礼所の地蔵が立っている。アップダウンがあり、まさに四国の遍路道。懐かしいお寺の名前がある。一年前にまわった時を思い出した。まわり終わると鉄御門に戻っていた。

もう一度二股道に戻り、別の右の道を行く。内膳丸への道。海を見ながらの道で気持ちが良い。

内膳丸の門が見えたが、その前にもう一つ門がある。登り石垣が本丸に向かって伸びている。登り石垣は珍しく、まだ2つの城で見ただけ。かなり崩れているのが残念。

内膳丸は中村氏時代に造られたもので武器庫として使われていた。

海岸線には出丸の砦跡があった。

これで残っている米子城遺構見学終了。4時間かけての見学だった。見応えのある城であった。

彫刻ロード

米子城跡から城下町に向かう海岸線に彫刻ロードなる遊歩道があり、そこを通って向かう。

これはほんの一部でまだまだいっぱい彫刻がある。

偶然に電車の客車を見つけた、日本で現存する最古の木造客車(英国バーミンガム製)。

Iwakura Cho 岩倉町界隈

外堀として使われていた加茂川の直ぐ外側に岩倉町があり。街並み保存地区になっている。この加茂川の内側に武家屋敷が作られ、外側が町人、寺社があった。

川沿いにいくつも地蔵がある。中でも笑い地蔵なるものがあった。昔のものではなさそうだが、話題作りは貢献しているだろう。

Temple Street 寺町通り

岩倉町から少し外側に行くと寺町通りがあり、その通りの片側には9つの寺が連続である。江戸時代などは転封で寺院も引っ越してある一角に集中して建てられる事があるのだが、ここもそうなのだろうか? いつも思うがこんなに密集していたら檀家の数が限られて経営が苦しいのではと思うのだが、ボロ寺は無いし、寺のいくつかは修理か立て直しをしていたからなんとかなっているのだろう。

Kaike Spa 皆生温泉 

日本海に面した所にこの温泉街がある。時間がまだあったので行ってみることにした。海岸沿いや商店街近辺に大きなホテル温泉がある。昔風の温泉宿は見当たらなかった。どちらかといえば後者を期待していたのだが....

帰りの道は城跡からより近く大山が見える。冬に雪が積もるともっと素晴らしい山なのだろう。